従うだけで終わる人生では自分を生きられない

世の中の仕組みについて

 

つい最近まで、
世の中全体が「感染対策」を一生懸命やっていた。
今は表面上ちょっと緩くなったかに見えているけど、
煽る方は相変わらずだし、
改憲に向けて裏では色々進んでる様子。
「感染対策とワクチンが効いたから今は収まっている」
という設定になってるし、これを疑う人は少ない。
言われたら従う、何も考えない」を基本にしてると、
やっぱりまずいんじゃないかと思うこの頃。

これは普通
これは当たり前
これは常識
これはマナー
テレビではどのチャンネルを観ても
同じような内容を放送。
皆と同じようにしていると安心。
違う事をすると叩かれる。

これは今に始まった事では無いけど、
コロナ騒動が始まったあたりから
それがさらにはっきりしてきた。

同じ考えの人間を作る学校教育

全員同じ教育を受ける。
得意な科目とそうでないものがあっても
得意なものを伸ばすより、苦手なものを無理やり
勉強して一定の水準まで上げないといけない。
それが出来ない子供は劣等感を持つ事になる

江戸時代に日本を訪れた外国人が、
その時に持った印象が書かれている本を読むと・・・
日本人は大人も子供も伸び伸びと生きていて、
笑顔が多くて楽しそう
だった。
階級社会である欧米ではありえない、
一般庶民の中に当たり前にある美的感覚
に驚いた。
それぞれに個性的な、個人商店が沢山あったという。
日本人は好奇心いっぱいで、人懐っこい面もあり親切
大人も子供も一緒になって遊んでいたりする。
半面、子供でもしっかりしている
誇りを持っていて、普段おとなしいからと言って
なめてかかると怖い面がある。

そう言った内容だった。

江戸時代には寺子屋という制度があって、
自由な形で習いたいと希望すれば読み書きを
習う事が出来た。
勉強したいと願うなら好きに習えばいいという。
本当は今だって、
そういう形で何の不都合があるのかと思う。

今は学校というと
決まった科目、決まった行事があって、
その中の何かが死ぬほど苦手でも
「皆と同じようにしないといけません」
「皆と一緒に頑張らないといけません」

という事になっている。
そうしないと「問題行動がある」と言われ
協調性が無い」と内申書に書かれる。

特に戦後からそういう教育が始まっている。
歴史でも平気で嘘を教える
言われたことに従順に従うのが正しいという教育。

規則が色々と多い。
服装や髪形に始まって、
あれないけないこれはいけない。
ああしないといけないこうしないといけない。
それが当たり前になっている。
学校での健康診断や予防接種も当たり前。
自分は受けたくないというのは無理。

この土台があるから、今になって世の中で急に
感染対策とか新しい生活様式という物が出てきても
おかしいと思う感覚が少ない
普段からある決まり事がちょっと増えただけと、
違和感なく受け入れてしまう。
何故それをやらないといけないのか?
というところは考えない。
ただ言われたからそうする。
それが普段からの学校での習慣だから。

小学生中学生でもしっかりした考えを持っていて、
学校側にその考えを伝える人も中にはいるけど
そういう人は少ない。


これを「普通」にしてはいけない

体温より高い気温で炎天下の中、
登校時もマスク着用。
熱中症の被害がここまで出ているというのに

会話の禁止。
集まると引き離す。

「声出しクラスター」とか言って
声を出すと感染するという
根拠のない「感染対策」に合わせて。

給食の時間は、ダンボールで囲まれた机で
フェイスシールド着用で食べる。
「時間をかけると感染広がるから早く食べろ」
と言って急がせる。
とても人間の食事の風景とは思えない。
強制収容所か何かみたい。
感染対策が無かったころの刑務所の食事の方が、
まだ随分マシなのでは?と思う。

消毒液使用の強制。
学校に行っていると、日に何度も消毒液を
使わされる。
皮膚の表面にいる常在菌をいつも殺して
免疫力の弱い体になる。

子供を感染から守るという大義名分の後ろに
学校の評判を落としたくないという
本当の理由が見えてくる。
いじめ問題が起きた時、
闇に葬ろうとするのと同じように。

職員の中で
本当は違和感を感じている人がいたとしても
組織の中では言えない空気。

コロナという物が本当に危険なのか?
ここまでの感染対策が本当に必要なのか?
考えようという大人がなかなか出てこない。


人と同じようにしないのは悪い事という刷り込み

学校教育では、
「皆と同じようにしましょう!」
「協調性を持ちましょう!」

というのが基本で、規則を守って言いつけに従い
空気を読んで周りに合わせる
のがいいとされる。

会社に入っても、また同じような環境。
周りと違う事は言いにくい。


学校でも会社でも、
すべてのところがそうだとは思わないけれど
こういうところが大多数なのは間違いない。

そうやって十年、二十年、三十年と経っていく。
従う事が当たり前になる。
もし、自分はこれは受け入れたくないとか
おかしいと思う事が出てきても、
「それを言うのは悪い事だ」
「皆と同じようにしなければ」
「空気読まないと・・・」

こういう刷り込まれた考えが、
すぐに意識の表面に上がってくる。

今の感染対策とか新しい生活様式にしても・・・
学校や会社で
「感染者を出してはいけないから」と言われたら
今テレビで騒いでいる「感染者」というのが
何を指していて、どんな検査でどんな数え方を
しているか知らなくても簡単に納得してしまう。

「今は感染広がってるから仕方ない。
しばらくの我慢」と思ったらずっと続いている。
いいかげん嫌になってきたなと内心思っても、
そんな事を言うと変な目で見られると思うと
言えない。
そういう人が本当に多い。

マスク着用が学校で決まっているから。
会社で決まっているから。
コロナだから仕方ない」
自営業者でも、
店を開けているだけで非難されるし
感染対策頑張ってますアピールしないと
お客さんが来てくれないという事も。
これも「コロナだから仕方ない

つい最近まで普通だった日常が、
どんどん壊されて異様なものになっていっても
会社の倒産が相次いで失業者があふれても
コロナだから仕方ない

元々がインチキ検査で第何派でも
いつでも来たように見せられるわけだから、
このままでいくと・・・
家から一歩も出られない状況が再び訪れても
コロナだから仕方ない
倒産や失業がさらに増えても
コロナだから仕方ない
ワクチン強制接種が決まっても
コロナだから・・・

どこに向かわされているか気が付いてない。
思考停止状態(;゚Д゚)

思考の檻から抜け出す

自分には何も決める力は無くて
政府から、学校から、会社から
言われたらそれに従うしかない。

従わないと、
学校でいじめられるかも
会社クビになるかも

周りの人の様子を見て、
多くの人と同じようにしていないと
生きにくくなる
社会からのけ者にされるかも
変な人と思われて人が皆離れていくかも

こういう、恐怖心が下地になった思考をしていると
いつまでも檻の中から抜け出せない。

「何となく違和感はあるけど、
調べて何か知ってしまったら・・・
本心は違うのに表面は従うという事になったりしたら
余計しんどいし知らないでいた方が楽。
多い方が正しいと思ってた方が楽
」という
考えの人もいるけど・・・

違和感を感じながらそれを無視して生きていると
心と体に負担がかかり、それは蓄積されていく。

限界が来ると、「症状」として現れる。
それが、肉体的、あるいは精神的な「病気」
と言われるものなわけで・・・

不安、恐怖が無くなったら
そういう方向へ向かう心配も無くなる。

人に何と思われても好きなように生きるのは
ちょっと勇気がないという人でも、
真実を知っていて恐れないという思考を持つ
だけでも違うと思う。

思考はエネルギーだから。

コロナ以外でも、
インフルエンザ流行、他の感染症流行の可能性、
他国からの侵略、食糧危機、自然災害、経済の崩壊
など
どんどん恐怖を煽ってくるけど。
メディアを通じてどんなに恐怖を煽っても、
誰も怖がってなければいずれ通用しなくなる。

不安、恐怖に苛まれている精神状態の時に
「今大変なことが起きている
緊急事態だから」
と言われると
それなら仕方ない。何でも従います
となってしまう。
法律を変えて、
今はお願いしか出来ないことが
全部強制に変わるとなっても、
税金が今以上にどんどん引き上げられても
「仕方ない。緊急事態だから」
となって、何の疑問も持たない。
この流れを作ったら、命令する側は
やりたい放題。何でもできる。
一生懸命恐怖を煽ってくる目的はこれしかない。

怖がらせる目的が何なのか知っていれば、
「ああまたやってる」としか思わない。















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