運命、宿命、先祖の因縁、カルマ
前世過去世の因縁、守護霊・・・
そういうのをあると信じていると、
今体験している自分の人生とは、
何者かによって決められたり、
自分では逆らえない力によって
動かされているというのが、
基本になってくる。
なので、
どんなことが決められているのか
知りたい。
何によって影響を受けているか
知りたい。
(前世、先祖、守護霊など)
どうすればよくなるか知りたい。
(お祓い、おまじない、
何かアイテムを持つ、
パワースポットに行くなど)
という事になってくる。
決まっている未来は存在しない。
其れを予言出来る人は居ない。
本当は全部自分で作っている。
という事を聞いても、
「そういう抽象的な事でなく
現実的な事を知りたい」
という事になる。
自分で作っているという事の方が
現実だとしたら?
と、仮にでもいいし考えて欲しい。
先祖の誰々が導いてくれていて、
守護霊はこういう人が付いていて、
前世こうだったからあなたは今こうなんだ
あなたはこういう人生を歩むよう
定められている
というような答えが
「現実的な事」であって、
そういうのを聞くと
「前に進める」
と言って喜ぶ人が多い今の世の中。
根本からそういう刷り込みが入ってるし
こうなるのかなと思う。
人間が「自分は本来自由に何でも自分の
好きなように体験できる、自分で全部
作っている」
と思ってしまうと、困る存在が居るから
なのかと思う。
これは何もかも一人でやろうとか
人とつながらないという意味ではない。
全部が自分の作っている世界
という事が基本であれば、
何かやりたい事があった時
情報が入るのも、
協力者が現れるのも、
その現実を自分が造ったという事。
自分は何も決められなくて、
何かによって決められた人生を
生きていて、
他からの助けがあった時も
何か自分より上の存在の力によって
守られた、
神様が助けてくれた
助けてくれる人を使わしてくれた
という発想とは根本から違う。
でも世の中ではこっちの発想の方が
一般的だし印象がいい。
謙虚と思われるらしい。
「自分の現実は全部自分で作っている」
とか言おうものなら
傲慢、不遜と印象が悪く嫌がられる。
ここが変わるだけで、ずいぶんと
好きなように気持ちよく生きられるのに。