子供の頃から、その洗脳は始まっていく。
ごく一部の成績優秀者、目立つ特技がある者に対して
こういう人が優秀。
こういう人が特別。
こういう人がリーダー。
こういう人が選ばれた人。
と定義していく。
それ以外の多くの者に対しては
「その中に入っていないあなたは、
何の影響力も持たない小さな存在。その他大勢」
徹底的にこの刷り込みをかける。
自分は特別じゃない。
自分は無力と思わせたところで、
「集団社会で生きていくには、
上の立場の人の言うことをよく聞いて、
周りの状況をよく見て空気を読んで
、人に迷惑をかけず生きていくこと。
そうすることによって、
平凡でこれと言って何の取り柄も無いあなたでも、
この社会の中で人並みの生活が出来て
ちゃんと生きていけるんです」
これを教えこむ。
骨の髄まで奴隷根性の染みついた人間の一丁上がり。
今の社会は、一部のリーダーシップを取る存在と、
従う事で生きていけるその他大勢という形で
ピラミッド型の集団、組織が成り立っている。
学校では、社会人になった時にそこで生きられる
従順な人間を作っている。
意味不明な規則が多いのも、
規則の内容に深い意味があるわけでなく
決まりに従うという服従訓練だから。
教育者の中でこの方針に疑問を持つ人は、
出世できなかったり下手すると排除されて
仕事を失う事も。
今では、幼稚園から入試があり
集団行動という試験科目まであって、
集団行動が出来るかどうかで評価されるというから恐ろしい。
明治維新から始まって、第二次世界大戦後になると更に
このやり方が当たり前になって行ったけれど、
元々の日本にはこういう考え方は無かった。
幼稚園保育園の次は小学校から高校まで、
大学生や社会人になっても、その洗脳は続いていく。
メディアを通じて日々入ってくる
「こういう人が素敵な人」
「こういう見た目が美しい」
「こういう人がリーダーになれる人」
「こういう人が成功者」
といった情報の洪水。
その中で
「自分とは全然違う。違いすぎる。自分はダメだ」
の思考になっていく。
世の中の状況に対して何か思うところがあった場合でも
「こんな無力な自分が言ったって誰も
相手にしてくれないに決まっている。
名前が知られていて影響力のあるあの人なら、
何かを変えてくれるかもしれない」
という依存の思考しか出てこない。
選ばれた人とそうでない人?
特別な人とその他大勢?
その基準を決めているのは一体誰?
真実は、
全ての人がこの宇宙で唯一無二の個性を持った存在で、
唯一無二の体験をしている。
強いリーダーは要らない。
一人一人、自分の中に答えが有ればそれでいい。
支配層の彼らの最終目標は何かというと、
権力を一ヶ所に集中させる事。
個人の自由は無く、個人よりも国家、組織が優先される。
完全に監視、管理された社会の構築。
それを「安全」「安心」「あなた達の幸せのため」
という表向きの理由をつけて押し付けてくる。
その中でメディアを通じて彼らがやっている事は、
多くの庶民に自分は無力だと思わせる事。
一部の大企業だけに利益を集中させ、
中小企業や零細企業を潰そうとするのも、
生活に困窮する人を増やそうとするのも
そこにつながってくる。
それに成功すれば彼らにとってどんな利益があるかというと、
庶民一人一人が
「自分には何の力もありません。助けてください」
という思考になる事。
そうなると庶民は彼ら(力のある存在)に頼るようになる。
彼らが居てくれないと自分達は生きられない
という思考になる。そこが狙い。
彼らに反発する人達に対しても、
世の中を変えてくれるヒーローになりそうな存在を見せていく。
そうすると庶民が
「自分は何の力も無いから無理だけど、
あの人なら救ってくれるかもしれない」と期待する。
「この状況を何とかしてくれる誰か凄い人」
をいつも待ち望むようになり、
あの人がそうだろうか?
それともあの人だろうか?
というところにばかりフォーカスがいく。
誰々が光側だとか闇側だとか
「自分は誰についていくべきか」で考える。
それによって期待したり失望したりして翻弄され疲弊する。
どちらに転んでも、支配層の彼らの狙い通り。
一般庶民に対して
「自分は無力だ」「自分では何も変えられない」
「影響力のある強いリーダーが先頭に立ってくれれば、
自分はついていく」と思わせることに成功している。
庶民側としてはこの思考から抜けない限り、
「支配してください命令してください服従します」
と言っているのと何も変わらない。
本当は、彼らが居なくても庶民の生活は何も困らない。
彼らが法律を変えようが何を決めようが、
庶民一人一人が「自分は従わない」と、
自分で決めてフルシカトすれば、
そういう人が過半数超えてきたとしたら?
彼らの目論見は達成できない。
そこに気付かれては困る彼らは、
庶民のセルフイメージを下げて、
依存する思考にさせようと一生懸命。
ワクチン接種が進められ始めた頃、
任意であるにもかかわらず
「自分には打たないという選択肢は無い」
と言う人をけっこう見かけた。
もちろん、自分で調べて考えた結果自分の意思で
打ちたいと決めた人はそれでいいと思う。
そうでは無い場合の話。
ワクハラという言葉まで出てきたほど職場で
圧力がかかっていたのも事実で、
圧力をかける方に問題ありなのは当然だけど。
「選択肢は無い」という発言(ということはそういう思考)
をしてしまうと、
従わなければ生きていけない人生が続いてしまう。
圧力をかけている方もまた、
もっと立場が上の人達から圧力がかかっていたり、
その人達の機嫌をとりたい気に入られたいという
気持ちから行動している。
そうやってそれぞれが自分より下の立場の存在に対して、
強制してコントロールしてエネルギーを吸い上げる。
けれど真実は、上も下も無い。
これはワクチンの事に限らずなんでも同じ。
自分は気が進まない(本音)があるのに、
言われたからこうしなければならない
(ノーと言える選択肢は無い)と思ってしまうなら、
それは我慢。
我慢する事がいい事だというのも、
支配層の彼らにとって都合のいい刷り込みである事を
忘れてはいけない。
一度コントロールを受け入れると、
彼らは「もっといける」と思って
さらに強い力でコントロールしてくる。
「何々をしなければ、これを保障してあげませんよ。
それだと困るでしょう。不便でしょう」
と来られても、
「要りません。何も困りませんので」
と言える人が大多数になったら、彼らは簡単に力を失う。
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