この物語は1970年代に書かれている。
架空の国の架空の物語。
作者がこの物語を描いた時
イタリアに住んでいたからか、
物語の舞台にイタリアを思わせるような
街の様子などは見られる。
けれど実在の国名や町の名前は出てこない。
物語のあらすじ
円形劇場あとにやってきた
モモという女の子。
彼女は浮浪児で施設から逃げて
ここに来ていた。
ここにいたいという彼女を
皆で世話する事になるが、
逆に彼女に助けられる事に。
モモは人の話を聞く。
ただ聞いてもらっているだけなのに
モモのところに来ると
色んな人の悩みや問題、争いは
消えていった。
子供達も大人達も、
何かあると「モモのところへ
行ってごらん」と言うのが習慣になった。
子供達は、モモのところに来ると
独創的な遊びを考え出す事が出来た。
モモには大人の友達も子供の友達も
沢山いて、彼女は楽しく生きていた。
ところがある日から、街の様子
人々の様子が変わり始める。
灰色の男達が現れて、人々から時間を
奪い去っていったのだ。
時間の管理人マイスター.ホラに会って、
時間の秘密を知る事が出来たモモ。
モモは、皆を助ける事が出来るのか。
この物語から感じた事
ネタバレになるけれど、
この物語はハッピーエンド。
モモの活躍によって灰色の男達は消え、
時間は元通りになる。
人々はまた元のように、
生きる事を楽しめるようになった。
灰色の男達が現れた時、
子供達は、子供の家と言う施設に
行かされる事になる。
ここでは、自由は無く
遊び方さえも教わった通りにやらされ
時間を決められて皆同じ事をやらされる。
子供達の表情はつまらなそう。
これは、今の世の中の学校にとても
よく似ていると思った。
時間を決めて同じことをさせる。
決まりに従わせる。
場合によっては幼稚園からこの状況。
家を建設する工事は、
長持ちしないのをわかっていながら
手抜き工事が行われる。
職人は自分の’仕事に誇りが持てなくなる。
お客さんとの会話も楽しみつつゆっくり
営業していた店は、
ファーストフード店に変わっている。
大急ぎで注文し、大急ぎで食べる。
店の経営者はただお客をさばいている感じ。
どんな仕事の人も、
時間に追われて自動的に作業する。
忙しすぎて考えるのを止めている。
皆がいつも急いでいてイライラしている。
子供とゆっくり接しているヒマはないから
子供は預けておく。
まさに今の世の中そのものかと思う。
心豊かに暮らしていた人達から時間を奪った
灰色の男達は、その奪った時間で生きている。
元々は実体がなく、奪った時間が元に戻れば
煙のように消えてしまう存在。
これは私の勝手な想像かもしれないけど、
庶民からエネルギーを奪って生きている支配者層が
エネルギーを奪えなくなったら・・・
この物語の灰色の男達のように、消えてしまうしか
ないのでは?
物理的に消えてしまうというのではなくて、
庶民に対して影響を与えることが出来なくなるのでは
ないかと思う。
この物語の中では、主人公モモを通じて
心豊かに生きる暮らし
時間のたっぷりある人生
それがどういうものかを見る事が出来る。
モモ (岩波少年文庫)