我慢が美徳とされる世の中 それは誰のため?

自営業者の日常雑記

「私はいいから周りが幸せになればいい」とか 、
「私はいいからあの人が幸せになればいい」とか
こういう事を言う人は多いし
綺麗に聞こえるけど・・・
自己犠牲はそんなに美しい事なのか。

幸せって誰かが取ったら自分には回ってこない?

限りある物を分けているような発想
そういう現実を作っているのかもしれない。

形のあるものでも無いものでも、
誰かが何かを得た時他の誰かがそれを失う
そんな発想になっている人も多い気がする。


私が我慢する」という事が、
忍耐強く思いやりがあって凄くいい事
のように言われている今の世の中。

自分がどんなに我慢してでも、
何よりも人に迷惑をかけないことが
いい事とされている。

そういう刷り込みが、毎日あらゆるところから
情報として入ってくる。

「迷惑」という事に対する考えも・・・
多くの人と同じように考え同じように行動する
それが人に迷惑をかけない事だ
という
人と違う事を認めないものになってきている。

人と違う事が個性で、
色々な個性が存在するから面白いのに。

全員が同じように考え同じように行動する
そんな世の中を想像すると、
不気味さしか感じない。

統一の方向にもっていこうとしている
支配する側からすると、それこそが
すごく管理しやすい世の中なのだろう。


それに従わせられる側は

自分は周りのためを思って、
いつも我慢している
いつも空気を読んで
周りに合わせている
本音のところでは、
自分が周りから悪く思われないため
というのもあるのかも・・・

自分でも気が付かないうちに
実は支配する側にとって都合のいい
思考をさせられて、
都合のいい行動をとらされている。


本当は、
誰かか幸せになっても大金を稼いでも
だから自分の分が減る
のではないし、
逆に自分が幸せに生きても
必要なら大金を稼いでも
それは誰かから奪う事ではない。
自分が常に我慢していれば
周りが皆幸せになるわけでもないし、
自分が我慢しなくなったら
他の人が皆多大な迷惑を被るのでもない。






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