世の中で普通に言われている、
「これはこうでなければならない」
「こういう生き方が正しいのです」
「これが常識です」
という暗黙のルールに従わないで
生きたら恐ろしい事が起きるのか?
実際は特に何も起きない。
そのルールは誰が何のために作ったのか?
ここに興味を持って調べていった人は、
ほぼ例外なく従わないという選択をする。
それで不幸になった人を見た事が無い。
全員知ってるわけじゃないから
何とも言えないけど少なくとも、
従わない選択もありだという事は言える。
同じような物に興味を持ち
同じような人生を幸せと感じ
周りの人と少しでも何か違うと不安になる
こういう人を増やすべく
全力で刷り込みをかけてくるのが、
支配層のやり方。
(この事についてもっと書いている
他の記事もあるのでここでは詳しく書かない)
私が気が付いて調べ始めたのは2010年の
途中からだけど・・・
それよりずっと以前から、
意味があると思えない決まり事や
「みんなで一緒に何々しましょう」
「皆そうしてるからあなたも合わせなさい」
という圧力がものすごく嫌いだった。
私の世代は今以上に「安定」という事が
求められる時代だったのでそういう圧力も強かった。
わざわざ反対を行ったわけじゃないけど、
世間では、
学歴が無いと
大企業に勤めないと
貧乏になって不幸と言われていた。
プライベートでも
結婚して子供を作らないと
社会的に認められないし
老後孤独になって不幸になるというのが
当たり前のように言われていた。
大企業に勤める事に魅力を感じないし、
自分の商売をする方がよかった。
「自営業は不安定だから」
と言われていた時代に
周りに合わせなくて良かったと今も思う。
目指したとしても無理だったと思うけど
無理な事は向いてない事、
自分に合わない事だから無理でいい。
皆が結婚に一生懸命だった時代
(今もそうなのかもしれないけど)
そんなにいいもんなんかなあと思った。
興味はあったので30代の前半に一度結婚してみて
同じ30代の後半に別れた。
一週間くらいしか付き合ってなかったので
1年続いたらいい方かなと思ってたし
その割には数年もったから続いた方だと思う。
その彼とは別れて以降も変わりなく
友達として連絡を取ったり会っていたので
書類上くっついたり別れたりしても
実際なんも変わらんんもんやなあと思った。
彼が若くして病気で亡くなったので
交流は途絶えたけど、そうでなければ多分
今も続いていたと思う。
それから以降は、結婚はあっても無くても
どっちでもいいと考えるようになった。
世間で言われているような重い意味を
全然感じなかったので。
子供を産んだことは無いけど、
もし子供がいても
この感覚は変わらない気がする。
恋愛も、あっても無くてもいいと思うし
パートナーと呼べる人が何年もいない時期が
続いてもそれはそれで平気だった。
年を取ったからではなく、
これは若い頃からずっと変わらない。
常に恋愛が無いと死んでしまうと言う人も
居るけど、またそれはそれでいいと思う。
「こうでないといけない」
というのは存在しないはず。
パートナーと呼べる人がいても、
相手の年収だの日常の行動だの交流範囲だの
私は知らなくて平気。
べったり誰かと一緒にいるのは無理なので
一人の時間を多く保って程よい距離で付き合っている。
経済的にも自分一人の範囲でやっていく方が面倒が無い。
占いの仕事をするようになって、
家の中のお金の事や遺産相続の事で
血みどろの争いが世の中には多い事を
知ったからというのもあるかも・・・
平和な家ももちろんあるとは思うけど。
恋愛以外の人間関係も同じ。
毎日連絡を取り合うとか、
何時間も電話で話すのが大好きな人とは
とても付き合えない。
これが良くないという意味ではなく好みの問題。
一人でいるのが好き。
パートナーでも友人でも
べったりよりある程度距離があるくらいがいい。
人とはゆるくつながるのが好き。
人がいる中で一人で過ごす雑踏の中の孤独も好き。
干渉と監視が嫌い。
長々と誰かに話を聞いてもらいたい欲求が無い。
自分がそうだから同じような人が楽。
仕事も一人でやる商売が好き。
安定は求めない。
福利厚生要らない。
保証は要らない。
健康で楽しく生きられたらそれでいい。
これは世間では変な奴の部類。
けど変な奴でも大丈夫。
幸せの基準は人に合わせなくていい。
支配層の彼らがメディアを通じて提示してくる
「このように生きるのが幸せです」
というのは、
人に合わせるのが嫌いな私の感覚からいくと
我慢につながる苦しい道に見えてしまう。
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