宗教的な考えでもそういうのは、
よく言われている。
特定の宗教に入っていなくても、
魂レベルが高いとか低いとか
気にする人は少なくない。
輪廻転生の数か多いとか少ないとか。
人間だけが特別で、
次に生まれ変わる時にまた人間に
生まれるために
今世で徳を積まないといけないとか。
そういう考えは全て、
ワンネスという事が腑に落ちていれば
何の意味もないことが分かる。
昨日のブログの内容のワンネス。
元々は全て同じ存在。
「自分が居る」と認識した最初の意識が、
それぞれ個性を持って一旦そこから分かれて
好きな経験をしている。
最初に「自分が居る」と認識した
その存在から分かれたものが、
今「自分」という意識を持って体験している。
という事は、最初の意識エネルギーそのものが
自分という事。
そのエネルギーの事を、
絶対無限の存在、大元、人によっては神と
呼ぶ事もある。
神と呼ぶとすれば、
神というのが、何かすごい力を持った
自分達より上に君臨する存在とかじゃなくて
元々の意識エネルギーの事。
という事は自分その物でもあるわけで・・・
何かを崇め奉るのではなくて、
宗教ではなくて、
元々の意識エネルギーを指してそれを神と
呼ぶなら、それは自分自身でもあり
他の全ての存在でもあるという事。
自分で選んで、絶対無限の存在から一旦離れて
自分がしたい体験をする。
十分体験したら、元々の意識エネルギーと
再び融合する。
遊びに行って体験して、
気が済んだら帰るというようなイメージ。
その経験は全て、絶対無限の存在の記憶として
蓄積されていく。
自分も元々は絶対無限の存在だから、
それは全て自分の記憶でもあるという事。
膨大な量のその情報は、アカシックレコードとも
呼ばれている。
体験に、良いも悪いも無い。
どんな体験も、貴重な体験として蓄積される。
いいとか悪いとか、レベルが高い低いとか
そういうのって元々何処から来た何の基準?
という事を考えれば、そこに矛盾があるのが
分かってくる。
生きている時にこんな事をしたら
罰が当たって来世ひどい目に遭うとか、
いい事をしたら来世幸せになれるとか
そういうのは本当は何もない。
魂レベルが上がったら、
悟りを開いて肉体を持たない存在になれる
というのも無い。
肉体を持たないのがレベルが高くて、
肉体を持っているのはその下で、
肉体を持っている中では人間が他の
生き物よりレベルが上で・・・
というのは、全部違う。
どんな体験をしたいかというところで、
自分で選んで、
体験している事の種類が違うだけ。
やっているゲームが違うという事でも、
例えられるかもしれない。
そこに、誰が偉いとか、上とか下とか
レベルが高い低いとか、
そんなものは存在しない。
ワンネスという所を突き詰めていくと、
これが一番腑に落ちる。