ワンネスということがまず基本。
そこから考えると、
最初に現れた意識エネルギーに個性は無い。
そのエネルギーの「自分が居る。自分は誰?」
という問いから全てが始まった。
それぞれ分かれたエネルギーが
(絶対無限の存在が沢山の自分を作ったという感じ)、
そこで初めて個性のエネルギーとして
色々な体験をしている。
人間の体験もその一つ。
今の自分という体験は、地球で、人間の体験を、
この時代で、この環境で、このキャラで、
生まれて成長しやがて年老いて死ぬという
共通のルール(循環)の中でやってみよう
と思って出てきたということ。
終わったら死んで
(この体験のために乗ってきた乗り物から降りて)
絶対無限の存在に帰る。
人間以外の体験ももちろん無数にあるし、
人間の体験も、全く同じ体験というのは無い。
それぞれ違うからこそ分かれた意味があるわけで。
体験の種類にいい悪いは無い。
どんな体験であっても、
絶対無限の存在の体験の一つとして
素晴らしい体験。
全部の体験が、絶対無限の存在の体験として
アカシックレコードに保存される。
いいとか悪いとか、正義と悪とか、
そういう概念は元々は存在しない。
国家間でも、もっと小さい規模でも、
戦っている者同士では、
それぞれに言い分があり自分側が正義だと
信じている。
常識とか道徳とか言われている事も、
国、地域、時代が変わっていけば
いくらでも変わっていく。
元々それってどこから来た?
誰が決めた?
というところを突き詰めて考えていくと、
根拠がないことがわかる。
自分という個性のエネルギーは、
本来は自由で好きに体験出来るからシンプルに
「自分は何が好き?」
「何がしたい?」
これで決めていけばいい。
ものすごく考えが違う人がいるのは当たり前。
様々な体験をするために、
わざわざ分かれて出てきているから。
同じでは意味が無い。
「皆んな同じにしなければいけない」
「これが正しい」
「こうでなければいけない」
「あの人達は間違っている」と言っても
そこに答えは無い。
そういうことで戦うことが好きで、
戦う体験がしたいということであれば
それもいいけど。
人間でも他の存在でも、
戦いが好きな個性のエネルギーも居るし、
それはそれで、そういうエネルギー同士で
戦っていればいいわけで。
それも絶対無限の存在の体験の一つとして
素晴らしい体験。
自分はそういうのはあまり好きではない
ということであれば、
そこにフォーカスしないのが一番。
世の中こういう風になっている、
と知っているけど関わらない。
知った上でそっちを選ばないと決めて、
そこにフォーカスしない。
そんな生き方もできる。
嫌だなあ、腹立つなあと思いながら、
そういう情報ばかり見ているということは
そことエネルギーをつなげるということ。
病気になりたくないと言いながら
病気の情報ばかり見ているのと同じ。
意識を向け続けるということは、
そことエネルギーを繋げること。
表面意識がどうかに関わりなく、
エネルギー場で承諾したということ。
合わないと思ったら離れる。
「自分は今、何がしたい?」と常に自分に聞く。
外側ではなく自分の内側の声に耳を傾ける。
自分が行きたいところ、
体験したいところにフォーカスして、
そことエネルギーをつなげる。
世の中に溢れている情報も、
意図的に思考を誘導しようとするものが多い。
なので、嫌だなあと思いながら
無意識にそっちを見ているということもあるので、
無意識を意識に上げる。
疑問を持ってみる。
それに慣れてくると、いつのまにか望む方向へ
行っていたという感じになるはず。