棲み分けるというのは、排除でもなければ否定でもない。
自分が正義で相手が悪だと言う話しではないので。
価値観や生き方があまりにも違うのに、無理矢理近いところで一緒に生きようとすると、どちらが正しいかで争うことになり、どちらかが我慢して相手に合わせることになる。
個人対個人でもそうだし、数人、数十人単位でも、もっと大きく地域全体、国全体でも同じだと思う。
この形が、今の世の中の一般的な考え方(多数決は平等という考え方)なのかもしれないけど。
そうなると、多い方が正義、権力があって数を集められる方が正義、少ない方は悪という事になる。
少ない方は「自分の考えは本当は違うのに」と思いながら、多い方に合わせるということになる。そこに居たければ。
でもそれでは、せっかく生きているのに何も楽しくない。
そうではなくて、違うなら戦わず離れるということは、お互いの個性や考え方を尊重するということだと思う。
世の中全体の流れに合わせようとしない少数派は、ほとんどの人から見ると理解できない奴で迷惑な奴で不気味で不快だと思われている事が多い。
それなら自分からそっと離れて、関わりのない所で静かに生きる。
統一の方向に向かう流れは今に始まったことではないけれど、コロナ騒動を機に加速した。今年になって何度か聞いた話し、幼稚園の入学試験にも筆記と面談の他に集団行動というのが追加されていて、それが最も時間が長く重要視されるという。
そこに受かるために親は一生懸命頑張るらしい。
コロナが騒がれたここ3年ほどの間、徹底した感染対策に従えるかどうか、周りに合わせられるかどうか、というところで「問題行動」が多い子供が居たというのでそれが重要視されるようになった(友達と喋ってはいけないと言われても喋っているとか、黙食、マスク着用が出来ないとか)
言われたら黙って従うことが出来るかどうか。
周りと同じように行動出来るかどうか。
そこを徹底的に観察して性格を見られるという事。
集団行動というのは、服従訓練なんだなと思った。
幼稚園からそれだから、小学校、中学校、高校、大学、会社に入っても似たような事は続いていく。
実際会社の中でも、ほぼ全員がワクチンを打ったのに打たなかった社員が、退職に追い込まれたという事が起きている。
職場によっては「自分がどう思ってても、辞めたくないなら打たないという選択肢は無いから」と言っている人が実際多く居た。
任意だという事を知らないわけじゃないだろうけど、会社という組織の中では誰もそう思っていない。
全体を見て多い方に合わす、空気を読むという事が、常識ある社会人として求められる。
法律で決まっているわけでもないことですらこれだから・・・
改憲までしようとしているこれから先、決まり事はもっと増えていくと思う。
それが安心で安全で素晴らしいと思う人はいいけど(こっちが多数派)
そうじゃない方にとってはどんどん生き辛くなる。
だから離れることを考える。
マイナンバーカードについては、個人情報漏洩とか実際に問題が多すぎて隠せないレベルだったからさすがに「信用していない」という人も多いけど。
コロナ騒動に関しては3年間たっぷり続けてきて習慣付いたからか、疑問に思う人はほとんど居ない。
発言力のある層の人達がまたどこかで、コロナなり違う感染症なりを出してきて「感染大拡大!」とテレビで言いはじめれば、おそらく日本では3年前と同じ事がまた起きる。
自粛して出歩かない、店を閉める、マスク着用、消毒液の使用、人とは距離をあける、ワクチン接種など。
この三年それを多くの人が頑張ってきたから今は収束に向かいかけたとほとんどの人が思ってるし、それでもまだ安心は出来ないとも言っている。
「感染対策が緩んだからまた増えてきてる」と言う人がよくいるのはテレビの影響か・・・また流行り出したらまた前のように感染対策を徹底しなければ周りの人に迷惑がかかると信じている。それが普通なわけで・・・
その事がはっきり分かってきた頃から、その普通に合わせられない自分は、ここには居られないと思った。
マイナンバーカードは作らなかったという人でも「ワクチン接種は3回したし、今でも人と会う時はマスク着用、消毒は常に徹底している、それを出来ないのは人として異常」という考えの人も少なくない。
マイナンバーカードはまだ、作らなくても自分だけの事で済むけど、感染対策やワクチンに関してはそれでは済まない。
周りの人への迷惑になるという理屈。
本当に迷惑になるといつどこで証明されたのか?
少なくとも私は知らない。
やっぱり3年という年月は習慣を作るのに十分だったし、新しい生活様式という言葉もその意図があったのか感染対策というより日常になり常識になりマナーになった感。
そういえばこの夏、町内会の溝掃除があった時も、茹だるように暑い夏の昼間にもかかわらずマスク着用率100%だった。私以外。
それでも誰も熱中症で倒れないという体力は、けっこうすごいと感心する。
会合の時も、マスク着用率、入り口の消毒液使用率100%だったけど(私以外)、室内で密だから?と思ったけど、外でも同じで驚いた。
もうすぐ地蔵盆だけど、朝から日暮れまで丸一日外にいないといけないここでもきっと同じかと思う。
この事に限らず熱中症に関して気にしている人を、日本ではあまり見かけない。
これもまた、熱中症で倒れても自分だけの事だから。マスク着用しなくて人を感染させたら自分だけではすまない。だから真夏でも炎天下でも着用。という理屈が出てくる。
「大切な人を守るために」「マスクは思いやり」「思いやりワクチン」と言われてきた事からきているのか・・・ここでもまた、人のため。
私が思うのは、ワクチンもマイナンバーカードも感染対策として色々増えていった決まり事も、全部同じ目的のために同じところかや出て同じところに向かっている。
なので、これは拒否だけどこれとこれとこれは必要で有益だから有り難く受け入れるという気持ちにはならない。全部無理。
同じ目的と思う前から野生のカンで無理だったけど。
それを迷惑と呼ばれるなら、離れる方がいい。
SNSやブログへのコメントその他で色んな人から「そんな常識無い人だったとは思わなかった」「それは迷惑行為。子供でも分かる事」「自分は丈夫だから何ともないでいいかもしれないけど感染リスクの高い体が弱い人への配慮が足りない」(これが一番多かった)とか言われたこの数年。
特に、周りへの迷惑が・・・周りへの配慮を・・・自分だけでは済まないというような「人のために」な内容が多い。
マイナンバーカードは自分だけの事だけど、感染対策やワクチンは他の人への迷惑が・・・
と言う人が多いのもこういう事かなと思う。
それだけ真面目で、周りに、人に迷惑をかけてはいけないとか、思いやりとかいうところを一番に考えているという事だと思うけど。
個人的に気に食わないとかそういうことではなく、社会全体のこと、公共の秩序に関しての事だから、自分のためでなく正義のために言うという感覚らしい。
それからいくと私は配慮が足りないし思いやりも無い。それでもいいけど。
匿名でなんでも言えるし、言うだけ言ってブロック出来るのがSNS。
感染対策を無視する事、ワクチンを打たない事は、国や政府の方針と違うし少数派だし、日本での常識からすると悪であるわけだし、批判するのは正しいという事なんだと思う。
でもせいぜいその程度で、それさえ言わず黙って去って行った人の方がもっと多かった。
こっちも議論する気は全然ない。
自分が正しいとも思わないし、相手が正しいとも思わない。
ただ、考えが違うんだと思う。
違いすぎる場合、歩み寄るというのは、もう不可能。
どんなに考えが違っても、あくまでも「自分はこうだから」というところに止まっていて人の事は干渉しないという人なら、合う部分だけで接点を持てるけど・・・
「これが正しい。こっちは間違っている。許されない。間違っている方は思考と行動を変えるべきである」という感じで来る人となると無理。
何をもって迷惑と呼ぶのか、思いやりと呼ぶのか、そもそもの基準が違いすぎる。
どうしても合わないと思った時、我慢して合わせる、戦う、離れるの三択があるとしたら私は離れるを選んだという感じ。
この三年の中では、一連のそういう事があって、でもその後は何か困っているかというとそうでもなくて、日常は案外と無事に気持ち良く、自分のペースで生きられている。
怪しい奴だと思われているには違いないけれど、嫌な顔をされる程度はあっても、正面きって批判されることもないし気にしなければ大丈夫。
元々一人で過ごすのが好きで、べったりな付き合いは要らないし。
さらに理想は、より考えの近い人とご近所さんになれたら嬉しい。
皆んな個性は違うし性格も考えも全然違っていいけど少なくとも「多い方が常に正義。テレビで言っている事が全て真実。それと違うのは全て悪。許せない」という気持ちを持っていない人と関わっていきたい。
何をもって迷惑と呼ぶのか、思いやりと呼ぶのか、その辺の基準がもう少し近い人と関わっていく方が楽な気がする。
そういう人が少ないのは分かってるけど。
場所的にも、もう少し田舎に行きたいと思う。
今の場所はその前段階(変化の第一段階)というところ。
日常も仕事も趣味も日々楽しみつつ、ゆっくりゆっくり次の展開へ。