5月は半ばを過ぎたこの時期。外は新緑が眩しい。
この季節は、朝の散歩で緑の多い場所へ行くと、何時間眺めていても飽きないほどに若葉の緑が美しく、花も多く咲き乱れている。
一年のうちで最も、人が外に出かけたくなる季節かもしれない。
この季節を気持ちよく感じるのは人間だけではないのか、動物達も昼間からよくうろうろしていたり、道端で寝ている。
狸の親子は相変わらず時間通りに現れ、最初見た時は小さかった9匹の子狸達の、サイズもかなり大きくなってきた。
今月の初めには猫も子供を産んで、小さい子猫達が加わっていた。
この地域の人達は、開放的な外で過ごすのが普段から好きで、よほど寒い暑いがなければ外に居る事も多い。
そんな中でも特にこの季節は、皆んないつも以上によく出歩いている。
天気が良ければ公園でお昼を食べたり、テーブルと椅子のセットを庭に持ち出してお茶を楽しんだりもしていた。
そこに、おこぼれにあずかろうという動物達が集まってくる。
特別何か行事があるわけでもないのに、いつも何となく賑やかだった。
梢も、外に散歩に出るとすぐ知り合いに会った。
この地域全部が知り合いでつながっているというわけではないのに、なぜか繋がりのある者同士は外でもすぐお互いを認識する。
でもそれが、近所付き合いの煩わしさを感じるようなめんどくさいものでは全くなくて、ただ人がいるという安心感だけを感じられた。お互いに干渉し合わないので、常にこの関係が成り立っている。
前々からいつも不思議なのは、この地域には、繋がりの無い人、関係ない人もいるはずで、むしろそちらの方が多いはずなのに何故か、自分達の知り合い以外の存在を感じない。
ここには自分達しか住んでいないのではないかと勘違いしそうになる事がしばしば起きる。
これは本当に不思議な現象なのだけれど、ここの友人達に聞いても皆同じことを言っている。
この地域では、遊ぶことは子供だけの特権ではない。
大人でも年寄りでも皆が好きな事をして遊んでいる。そしてその遊びが仕事になっている。
この場所の事を聞きつけて引っ越して来た人はさらに少し増え、今の時点で82人になっていて、もう少しで100人。
これくらいの人数がいれば、生活の中で必要なほとんどの事は誰かそれが得意な人がやって、お互いに提供しあい十分に回せる。
この地域の中ではどんどん、お金のやり取りをする事すら減っている。そういう流れが見られた。
一般的にこの世の中では、お金とは神のような物で特別な物で、お金がなければ死んでしまう、少しでも多くお金を稼がないと大変だということになっている。梢も以前はそう思っていたし、親からも学校の先生からもそう言われて育ってきていた。
ここの他の人達に聞いても、やはり以前はそうだったと言う。皆んなそこから出て、今では違う価値観で暮らしている。
ここの地図を作る計画も着々と進んでいて、空いた時間に集まって皆でワイワイ楽しみながら作っていた。
最初は、地図の作成は主に民宿のメンバー4人に友人の慶、薫を加えて6人でやっていたのだが、他の人達もどんどん参加して来て、人数が増えて賑やかになっていた。
ここの人達は皆好奇心旺盛で、誰かが面白いことをやっているとなると集まってくる。
人が多く集まればアイデアも多く出て、さらに面白い物ができていく。
地図の裏面に、希望するお店の写真、連絡先電話番号、メールアドレス、SNSアカウントなどを載せる事になった。
載せて欲しくないという人はいなかったので、裏面に線を引いて枠を100個作り、当分に割った。
特に店を構えて商売をしていない人でも、連絡先は載せていいという人ばかりだったので空白はどんどん埋まっていく。
「花」「陶器」「野菜」など、売っている物の名前は分かりやすく色を変えたりして。楽しい地図が仕上がりつつあった。
今の調子なら、予定よりも早くでき上がりそうだった。まだ100人いないので、あとは新しい人が入ってくるたびに書き足していくということになる。
梢にとっても、仕事の楽しみ以外にこの楽しみも増えて毎日がとても刺激的だった。
梢は、京都にいる唯とは時々ラインで連絡を取っている。
梢と唯の他に、マスター、ママを入れた4人のグループラインもあり、そちらもいつも楽しく盛り上がっていた。
梢はその時知らなかったのだが、唯はここに滞在している間に慶と親しくなっていた。
他にもここで知り合いが沢山できたけれど、その中でもこの2人は気が合ったらしい。
それから続けて連絡を取るようになり、会えない距離ではないので時々行き来していた。
付き合うようになったのは最近のことで、今では梢も、唯の両親のマスターとママもそのことを知っていた。
元々カップルでこの地域に引っ越してくる人達もいるけれど、梢もそうだったように後からここで恋愛が始まる事もある。
恋愛も人間関係の一つだから、エネルギーの合う人達が集まってくれば恋愛が始まるのも自然な事だ。
唯が、この地域に住む慶と付き合いだした事を別としても、唯と両親の三人家族はこの地域への転居を考えていた。
冬に旅行で来て数日間滞在してみて、3人ともここが本当に気に入っていた。
京都の街はどんどん変わってきてしまっている。今の世の中の動きを見ていると、都会にいるほどその影響は受ける。
常連のお客さん達と離れるのは寂しいし、ずっと店を続けて欲しいという人達がいる事を思うとためらいもあるが、本当に住みにくくなる前に京都を離れる事は去年の終わりから考え始めていた。
この地域にはあともう少し、人が住めるスペースがある。
カウンターだけの小さな店をやるのにちょうどいい大きさの物件が先月空いて、それから特に本気で考えるようになっていた。
年齢的にも、朝から晩までの長い営業時間が少し辛くなってきていて、夜の営業を中心にお酒を提供する店をやりたいというのが、マスターとママの希望でもあった。
来月もう一度ここに来て、物件を見てみることは決まっている。
もしここの家族が来てくれて店をやってくれたなら、今ここにはないタイプの店が出来る。
梢としては、もしそれが実現したら三人にいつでも会えるし、そうなったらいいなあと思っていた。
地域全体としても、新しい店が増えるのは大歓迎だった。
今も地図を作っていて改めて思うのは、本当にうまい具合に同じような店が重なったりせず、一店舗ごとに個性的な店が揃っている。ここに住んでいる人々の年齢も10歳以下から90歳以上まで幅広い世代の人がいて、そのおかげで情報の幅も広い。
5歳以下の子供達も全部で10人いるけれど、ここでは子供の面倒は皆んなでみるので、小さい子供のいる親だけが忙しくなって大変な思いをするということはない。子供を産んだことも子育て経験もない人でも、子供の世話を体験したければすることができる。
誰が何時から何をするなど一切決まっていないけれど、何となく全てがうまく回っている。
梢達は今日も仕事が終わった後、6人で集まって地図を制作していた。
場所は、広いテーブルが使えるこの民宿。作業中といっても、皆んな好きな飲み物やお酒を飲みながら、好きな物を食べながらで気楽なものだった。
「今見た限りでは大丈夫やったわ」
梢が、地図の書き終わった部分をもう一度全部見て、誤字脱字の確認を終えて言った。
「酔っ払ってないか?顔赤いで」
健太が笑って言う。
「そこまで酔うてないし、確認は大丈夫やと思うわ。多分」
「まあ違ってるとこあっても死なへんけど」
見る方も細かいことは言わないので、作る方もてきとうでいい。
「あ!やってもた」
侑斗が、食べていた揚げ物のソースを地図の上に落とした。
健太と2人でティッシュを持ってきて拭き取れるだけ拭き取ると、少しシミが残った程度になった。
「あとは修正液で消しといたら大丈夫やろ。どうせ印刷するんやし」
かなりいい加減なのだが、それだから続くわけで予定より早く出来上がりそうだった。
「ここだけで暮らせるよな。そう言うたら俺ここに越してきてから1回も県外出てないわ」
慶が、色を塗っていた地図から顔を上げて言った。
「たしかに。何でもあるしね。私も滅多に県外行かなくなったな。県外どころか普段は半径100メートル以上動いてないかも」
薫も同意する。本当にここには、生活に必要な物は何でもあり、遊びや楽しみのための場所も沢山あった。
音楽を聴きたければいつも野外で誰かが演奏をやっているし、特定の人の音楽が聴きたければその人のライブに行ったりユーチューブの番組を観ればいい。本や漫画が読みたければそれを置いている店があるし、趣味の品物を扱う店も多い。
大量生産された物と違って丁寧に一つ一つ作られた物は、長持ちもするし何故か飽きがこない。
この感じだと、今月には地図が完成して皆に配る分の印刷も終わりそうだった。
梢は地図を見ながら、元自分の職場でもある京都のカフェの3人がここに越してきたらという事を考えていた。
(この地図のこの辺りに描き足すことになるかな)
などと、想像しているとどんどん楽しくなってきた。
もし3人が来ても、その他にもまだ空いている所が少しあり、人数にしてあと20人近くは新しい人が入ってこれる余裕がある。
どんな人が来てくれるのか、どんなお店が増えるのか、これからも楽しみは尽きない。
ユーチューブを観ている時、たまにテレビの内容が目に入ると、コロナの騒ぎがまだ終わっていない。そのうち職場や学校でのワクチン接種が始まりそうな勢いだ。
この地域の中にいる人は自営業がほとんどなので職場は大丈夫としても、子供達の中には外の学校に行っている子供もいる。
いざとなればここで全部勉強を教えることもできるので、そのための場所を少し広げることなども皆で時々話していた。
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