妖獣ねこまた 後半

自営業者の日常雑記

8月6日

あの事件から2日経ったけど、やっぱり何も報道されない。

調べが入るため立ち入り禁止になって、どうせあの場所には入れないし、タネ婆さんも茜さんも避難所である俺の家に戻っている。

あの時は、相手も二人を甘く見て油断してたけど今回の事で、同じ失敗はするまいと奴らも思うだろうし・・・

出来るだけ皆んな一緒に居た方がいいとも思う。

タネ婆さんの家から食糧を持って来れたのは良かった。

置いてあったものが無駄にならずに済むし。

俺の家では、人間18人と動物達の生活が今も続いている。

食べ物に関しては、米の備蓄もあるし漬物などの保存食もあるし、畑で十分採れるから困っていない。

火災があった時は鶏小屋もいくつか燃えたけれど、無事だった鶏小屋から連れてきた鶏が、産んでくれる卵もある。

川へ行けば魚が釣れることもある。

そのうち街へ続く道路が元通りになれば買い物にも行けるし、宅配で食料を頼むことも出来る。

わざとじゃないかと思うくらい工事が遅れているようだけど。

井戸水に変な物を入れられないよう気を付けた方がいいというのは、地震のあった次の日にタネ婆さんから聞いていた。

井戸を囲う様に簡単な小屋を立てて、鍵を壊さなければ入れないようにしたので今のところ大丈夫だ。

盗聴器を発見して以降、聞かれて困る会話は全てテレパシーを使うようになった。

俺達が見つけ切れていないだけで、盗聴器は他にもあるかもしれないし。

言葉に出しての会話では、当たり障りの無い日常のことだけを話す。

料理、掃除、洗濯、風呂の話くらいしかしていない。

この前の事件のことに関しても、あの男は誰かの命令で動いていて、失敗したから消されたのだろうといった話は、テレパシーでやり取りした。

俺に近づいてきた女も、俺を思い通り動かすことを狙っていたか、機会を見て手っ取り早く始末する事を考えていたのかもしれない。

こういう話もテレパシーで、ここの皆んなと話した。

リキと、猫達、犬達の間では常に活発なテレパシーの会話が交わされている。

庭に居る鶏達、外にいるカラス、山鳩、雀、虫などとも、ここの動物達は親しく交流している。

動物達にとっては異種間交流は当たり前らしい。

人間の俺達も、時々その中に交ぜてもらう。

俺はリキと会った影響で、他の皆んなよりは多く動物達の会話の内容が分かるようになった。

タネ婆さんは生まれつきそうだったようで、それは今も変わらない。

俺達以外も、ここに居る人達はだんだん動物達の会話に入れるようになってきている。

動物達側から意識的に何かを伝えようとしてくる時はほぼ全員が理解できるし、自分から動物達へ何かを伝えるのもできる。

雑談の感じで交わされる早い会話には、皆んなはまだちょっとついていけないらしい。

それでも、外に聞かれたくない大事な内容をテレパシーでやり取りする事は、皆んな普通に出来ていて誰も困っていない。

この前の事件のことにしても、声に出して話す内容は

「侵入してきた男がいたんだってねぇ」

「強盗かなんかかねぇ。恐ろしいねぇ」

「その男、何だか急に死んだらしいよ」

「心臓麻痺だとか。人間って死ぬ時は急に死ぬもんだね」

「こう言っちゃなんだけど、だから何も盗られずに済んだしタネ婆さんにとっては良かったのかもしれないねぇ」

こんな感じで、テレパーでやり取りしている本音とは全く違う会話を交わしている。

今日は、シロとタロウとブチの三匹の犬達が、リキと一緒に山を見に行った。暗くなり始める夕方に出て、帰ってくるのは夜中になると思う。

俺が一度行った時と同じように門番に頼んで通してもらい、山の奥の方まで行ってみるという事だった。

目的は、山が大丈夫か確認する事と、住める場所を探すこと。

昨日皆んなで長い時間話し合って最終的には、いざという時はここを捨てようということになった。

タネ婆さんの家での事件があったことで、俺も考えが変わってきた。

こっちは何も悪い事はしてないし、ただ普通に暮らしてるだけなのに、何で追い出されないといけないんだってずっと思ってたけど。

俺達が出て行くまで、奴らがいくらでも強硬手段に出てくるなら、戦うより離れた方が得策かもしれない。

ここの誰かの命が失われるようなことには、なってほしくない。

お年寄り達も皆んな「寿命で死ぬのはいつでもいいけど、つまらないことで死にたくない」と言っているし、俺もその意見には賛成。

あの事件の時、タネ婆さん自身も言ってたけど、もし何の警戒もしていなかったら今頃居なかったと思う。

もしそうなっていたら、奴らにとって後から強盗に見せかけることも簡単だと思うし、それで片付けられていたと思う。

頼りにしているタネ婆さんが居なくなる事は、寂しいだけでは済まなくてここの全員にとって大きな損失になる。

もちろん頼ってばかりではダメだけど。

俺達は毎日、長老のタネ婆さんから、生きていくのに必要な情報を沢山もらっている。

それを受け継いで自分達のものにしていこうと、日々実践しながら生きている。

今、この人数しかいないわけだし、タネ婆さんだけでなく誰が欠けても一人減る事は影響が大きい。

8月7日

昨日の深夜・・・というか日付が変わってたし今日か。

山を見に行ったメンバーが帰ってきた。

今のところまだ、俺とリキで行った時に見た様子からほとんど変わっていないらしい。

さらに山奥に行けば、まだ手付かずの自然の残っている土地が豊富にあると言う。

川もあるから水を引いてこれるし、山菜や果物の木もあると言う。

そういう場所へ移動して、生きていく事も考えられる。

全員一気に移動すれば奴らに行き先を突き止められる可能性もあるし、移動するなら2〜3人ずつがいい。動物達も、数匹ずつ。

こういった話は全部、テレパシーの会話でやり取りした。

開発計画を調べると、二つ隣の村から始まって今は隣の村まで及んでいる。このままいくと、遠からず俺達が住んでいるこの村でも同じ事が起きる。

開発は横にも広げて行って、隣接する他県の村にも繋げていく計画らしい。

豊かな自然と最新のシステムの融合という謳い文句だけれど、実際は元々の自然を壊しまくっている。

隣の村から離れてこっちに来ている猫達に聞いても、色々な事が分かった。

街のシステムを維持するための電磁波が強すぎて、体調を悪くする人も続出しているらしい。

原因不明の病気で亡くなる人も増えたとか。

人間も動物も本来、強い電磁波を浴び続けながら生きるようには出来ていないし、体への影響はあって当たり前だと思う。

和人が日記を書き終えて、畑へ行こうと立ち上がった時にリキが入ってきた。

ここに居る時は大体元々のサイズで、いつも音も無くスッと入ってきて気がついたら目の前に居る。

和人はだんだんこれに慣れてきて、リキが来る一瞬前に気配だけで何となく分かるようになった。

「そういえばさっき一つ言い忘れたんだけど」

ゆったりと体を伸ばして、リキが話し始めた。

内容はテレパシーで伝わって来る。

「山奥へ行った時、人間が生活しているらしい跡を見つけたんだ。もう去った後みたいで、今生活しているというんじゃないけど。焚き火の跡みたいなのとか、穴を掘って何か保存していたらしい形跡があったりとか。それがそんなに古くない。多分人数は多くないと思うけど、山奥で既に暮らしてる誰か居るのかも」

「すごいな。もしそうだったら、山奥での生活の事も聞けるかもしれない。侵入してきた敵だと思われないように、慎重に行かないといけないけど」

「昨日行った時は、俺と犬達だけだったからな・・・人間の姿は結局見かけなかったけど、もし人間を見つけても下手に近付いたら、襲ってきた動物だと思って殺られるかもしれない。戦いになって、逆にこっちが相手を傷つける可能性だってあるし。だから探さなかった」

「なるほどな。たしかにそうかもしれない。相手がどんな奴か分からないし。人間が行ったとしても敵だとみなされる可能性はあるし絶対安心とは言えないけど。今度は俺が行ってみる」

「その時はついていくからな」

「ありがとう。助かる。人が居るのを見つけたら、様子見て大丈夫そうならとりあえず話しかけてみるよ。それで山奥の暮らしのこと聞けたらベストだけど」

リキと和人の今の様子を人が見たら、人間と猫がただ座って寛いでいるようにしか見えない。

本当は、二者の間で活発な会話が交わされている。

リキと和人が座っている周りに、いつのまにか猫や犬達がワラワラと集まってきている。

皆んなここで寛いでいるようで、実は会合が始まっている。

「こうなったらもう出て行った方がいいんじゃない?」

「住めそうな場所もあるみたいだし」

「あの村みたいになるんなら、どっちにしろ居られないでしょ」

「だったら早い方がいいかもね」

「戦うより逃げるか」

「この人数で勝ち目無いからね」

「犠牲者が出てもつまらないし」

動物達は、思い思いに話し始めた。

そのうち、人間達もこの部屋に集まってきた。

これから会合を始めようとか誰も言わないし、テレパシーの会話しかしないから、もし盗聴器がどこかにあったとしても聞かれる恐れは無い。

部屋の隅に座って皆の話を聞いている時、和人のスマホが鳴り出した。 

会合を邪魔するまいと思い、和人は部屋を出て縁側から庭に降りた。

着信があったのは、見たことのない番号からだった。

知らない人間から電話がかかってくる事は普段まず無いし、一体誰だろうと思う。

出るのも何となく嫌な感じがするけれど、出なくても後からかえって気になりそうだと思った。

「はい」

電話に出て、和人はそれだけ言った。

どうせ知られているのかもしれないけど、自分からわざわざ名前を教えてやることはないと思ったから。

和人が出たのに相手は無言だった。電話はまだ繋がっている。

その時、背後に人の気配を感じた。

素早く振り返ると、すぐ後ろに人が立っていた。

紐状の物を持つ相手の手を、和人は振り向きざまに勢いよく払った。

そのまま体を反転させて、左の拳で相手の顔面を打つ。

相手も咄嗟に顔を逸らして避けたので、もろに当たりはしなかった。

それでもそこそこのダメージはあったようで、一瞬相手の足元がふらついた。

間髪を入れず前蹴りを放つと、相手は足の脛で受けて止めた。

今度は相手から反撃が来て、横から蹴りが飛んできた。

和人はステップバックして避ける。

これで少し距離が出来た瞬間、和人が次に攻撃を繰り出す前に、相手は身を翻して逃げて行った。

和人は追いかけたが、走るのは相手の方が速かったようですぐに引き離された。

男は、倒壊したままの民家の中を抜けて逃げていく。

和人は途中で男を見失ったので、追うのを諦めて引き返した。

自宅への道を歩いて戻りながら、さっきの出来事を振り返る。

すぐ近くに来られるまで、相手の気配に気が付かなかった。

電話に気を取られていたせいもある。

それでもギリギリで気がついたのは、リキと過ごすようになって以来、前よりもずっと気配に敏感になっているからに違いないと和人は思った。

あのまま気付かずに首を絞められていたら、今頃生きていなかったかもしれない。

電話が鳴ったのも、外に誘き出すため、電話の方に意識を向けさせるためだったのかと後から気がついた。

相手の動きを思い出すと、和人の蹴りを脛で受けた。

普通は急所である足の脛は、鍛えれば硬くなり攻撃にも防御にも使えるようになる。

数秒で相手の力を見極め、まともに向き合って余裕で勝つのは難しいと思ったのか、すぐに判断して離れた。

時間をかけていれば中から人が出てきて騒ぎになる恐れもあるし、それも考えたのかもしれない。

あの男は格闘技経験者だろうなと和人は思った。

身のこなしも素早く、逃げ足も速かった。

家の庭まで戻った時、リキが後ろから追いついてきた。

リキも外へ出ていたということに、和人は今まで気が付かなかった。

「来てくれてたんだ。全然気が付かなかった」

「昼間だから姿が見えにくいし、途中からはあえて気配を消したからね。和人が外へ出てしばらくして、もしかしたらと思って来てみて良かった。男が逃げていくところを追うのには間に合った」

「俺は途中で見失ってしまって・・・体力落ちたのかもな。リキは、あの男がどこへ行ったか見れた?」

「隣村の開発工事やってるところの現場。何十人も居るところに飛び込んだから、その時点で俺も見失った」

「開発の事業と今回の事は関わりがあったってわけか・・・そうかなとは思ってたけど、やっぱりな」

「妖獣の俺が追いかけて見てきたって言っても、証拠にはならないけどな」

「もし他にも誰か見てて本当に証拠があったとしても、どうせ揉み消されるから同じだよ。関わりがあるって事実が分かっただけ良かったと思う。またリキに助けられたな。ありがとう」

「出来ることはやるよ。俺も普通の猫だった時、最初に和人に助けられたからな。それに、これからどうするかはここにいる全員にとって大事な事だから。皆んなと一緒に居る俺にも関係あるし」

「タネ婆さんの家に侵入者があった時も思ったけど・・・俺もやっぱ移動に賛成だな。この調子だと命がいくつあっても足りないし」

8月11日

この前の事があってから、外へ出る時は周りを警戒するようになった。

寝室でも、手を伸ばせばすぐ取れる場所に木刀を置いている。

いつまでもこんな事してたくないけど。

本当は、畑で野菜を作って日々を楽しみ、平和にのんびりと暮らしたい。

もう少し前のことから振り返ってみると、毒入りの餌が撒かれたり、お祓いをしに来たり、最近ではタネ婆さんや俺に対して殺そうとしてきたり。

あいつらは、何に対しても力で排除しようとしてくる。

そういうやり方なんだと思う。

本気で確実に遂行しようというより、それにビビってこっちが出て行くのを待つ、脅しの意味もあるのかもしれない。

けれど最近はそれに対して、負けないぞと意地になる気持ちが無くなってきた。

つまらない事にエネルギーを使うより、ここを出ても新しい場所で、また楽しく暮らせばいいと思う。

頑張って戦うことにエネルギーを向ける代わりに、これから住む場所を探す方にエネルギーを向けたいと思う。

昨日は、俺にとっては二度目に、山の奥まで行ってきた。

数日前にリキと犬達で行っていて、人が暮らしているらしき跡を見つけたということだった。

今回、リキについて行くメンバーは、人間は俺の他に喜助さんと良太君。それに犬のシロ。

途中まで車で行って、獣道に入る手前からはリキが大きくなって皆んなを乗せてくれた。

山道で大変なことが起きた時、リキのおかげで助かった。あの時の事を思い出した。

門番は、俺のことを覚えていてくれた。

ここを通る者は多くないし、人間は特に珍しいと言う。

喜助さんも良太君も犬のシロも、門番の姿が見えるようで「こんにちは」と声をかけていた。

初対面でも、特に怖いとか思わないらしい。

二人も俺と同じく、常にリキと一緒にいたり猫の会合に参加している間に、色々な物が見えるようになった様子。

テレパシーの会話が出来るようになるのと同じように、これも自然に身につくようだ。

門番に向かってリキが頼んだ。

「開けてほしいんだけど」

「いいけど」

門番が、あっさりと開けてくれるのも前と変わらない。

緑のカーテンをくぐって中に入り、螺旋階段を降りて行く。

「すごいな。めちゃくちゃ下まで続いてる」

良太君は、森の奥に入った時からずっと楽しそうだった。

好奇心で目がキラキラしている。

俺は、最初来た時は驚いたり固まったりしてたけど、さすが若いなあと思う。

階段を降り切って今度は登りになると、リキが再び大きくなって皆んなを乗せてくれた。

シロは走る方が楽しいようで、光る布の階段を走ってついてきていた。

この通路の終点には緑色のカーテンがあり、そこを抜けると目的地に着いた。前に来た時と同じだ。

こっちには門番が居るわけじゃなくて、内側から見るとカーテンがあり、そこを開けて出たらカーテンはもう消えている。

外に出ると、手付かずの自然の風景が広がっているのも、前に見た時のままだっに。

二度目でも、変わらず感動する。

喜助さんも良太君も、この風景に圧倒されたようで、しばらく立ちすくんで眺めていた。

樹齢数百年、千年以上と思われる大木が何本も、大地に大きく根を張り、空に向かって枝を伸ばしている。その枝が、風を受けてザワザワと揺れ、木漏れ日が眩しい。

木の幹にも、植物の葉の上にも色んな虫達が居て、鳥のさえずりが聞こえる。蝶や蜜蜂が、花の周りを飛び回っている。

動物達が草の間を走り回る音、川のせせらぎの音も聞こえてくる。

森の息遣いが聞こえる。そこに呼吸を合わせて、ただ立っているだけで最高に心地よくて、自然に抱かれている感覚になれる。

前回と同じく、何故か胸がいっぱいになった。

「今住んでる所も十分自然が残ってると思ってたけど、これって全く別次元だね。凄すぎる」

良太君が、興奮気味にそう言った。

「まだこんな場所が残ってたのか。人工的な物が一切無い。本物の自然の風景だな」

喜助さんも、今まで生きてきてこれは見たことが無いと、感動した気持ちを言葉に乗せて言った。

植物の葉の影からは、とても小さいけれど、人間に近い形の生き物が顔を出している。

草の蔓にぶら下がっている者も居るし、よく見ると何人もいる。

他にも、フワフワとした白い毛の固まりの様なものが、植物の周りを飛んでいる。これも生き物のようで、丸い目があって尻尾がある。

ここに居るメンバーには、彼らの存在が見えるらしい。

彼らを怖がらせないように、邪魔しないように、そっと眺めた。

さらに奥へと進んでいくと、少しだけ開けた場所に出た。

「この前、焚き火の跡があったのはこの辺りなんだけどね」

リキが教えてくれた。

人が居るとしたら、多分この近くということになる。

三人と二匹居るので皆んなで手分けして近くを探した。

30分くらい経った頃、その女の子を見つけたのは良太君だった。

洞窟のような所から煙が出ているのを見付けて近づいていき、中に人が居るのを確認したと言う。

攻撃してくる様子は無く、じっと息をひそめている感じだったので、ゆっくり近付いて優しく話しかけたらしい。

良太君からの「人が居るのを発見」という連絡は、見つけた時点で全員に回ってきていたので、俺も急いでそこへ向かった。

ここに居る方からすると、いきなり外から知らない人間が来たら、きっと怖いに違いない。

俺も、派手な足音など立てないよう気をつけて近づいた。

中から出てきた少女は、まだ十代前半くらいの子供だった。

良太君より少し年下位な感じだし、年の近い良太君が行って話しかけて良かったと思う。

日に焼けた褐色の肌、真っ黒な髪と黒目がちな目が印象的な少女だった。

背も特に高くはないし、どちらかというと痩せているのに、何故かとても逞しい感じがした。

聞けば、何とここに一人で住んで居ると言う。

元々親は居なくて、施設の暮らしが合わなくて逃げて来たらしい。

一人で山で暮らすようになり、もうすでに一年以上経ったということだった。

それを聞けば、逞しくもなるだろうなと納得した。

良太君とはすぐに仲良くなれたようで、二人で楽しそうに話していた。

少女の名前は琴音といって、年は14歳だった。

ここで生きていけるくらいだから、ここには水も食べ物もあるに違いない。

俺達も山で暮らしたいとは思っているけれど、この場所はこの少女のテリトリーなのかもしれないし、むやみに踏み込むわけにはいかない。

「山の主が、今のところ見守ってくれてるみたいだな」

リキから伝わって来た。

「今日は出てこないんだなって俺も思ってた」

「だから見守ってくれてるってこと。怒りに触れたなら、出てくるからね。琴音ちゃんは一年以上ここに居られるということは、山の主達も彼女を認めたんだと思う」

なるほどと思った。

俺達には、山の主との約束もある。

自分達が村を捨てるのはいいとして、開発が山の中まで及ばないように、そこだけは止めないといけない。

どうやるかはこれから考えるしかない。

琴音ちゃんもそれでいいと言ってくれたので、喜助さんと良太君とシロは、このままここに残ることになった。

あの地震で、元々住んでいた家は倒壊していて住めないし、畑も使えない状態になってしまっている。

なので、絶対に村に戻らないといけない理由も無い。

それならここで畑を作って野菜を育てられないか、その方が興味があると言っていた。

俺とリキは、琴音ちゃんの案内で数時間、辺りを散策してから村に戻った。

たしかに山には、小川も流れているし食べられそうな物が沢山あった。

山奥でも困らずに生きていけるイメージが固まった。

今回も行って良かったと思う。

琴音は、自分の住居に二人を案内した。

少し離れた所から見た限りでは、そこに住居があるとは分からない。

近づいてみると、元々洞窟だった場所を活かしてうまく作られている住居の入り口が見えた。

入り口と言っても門や扉があるわけではない。

丈の高い草花が左右に生えていて、太い木の枝と布を組み合わせて入り口の仕切りが作ってある。

「これって危なくないの?」

良太が聞いた。

野生の獣なんて沢山居そうな場所だし、今までよく大丈夫でいられたなと正直思った。

「危ない?そういえばそうかもね。あんまり考えたこと無かったけど」

「この辺りだと、狼とか熊とか猪とか・・・」

「今んとこそういう怖い目に遭ったことは無いかな。安全かって聞かれると、そうじゃないかもしれないけど。人間もね、他の生き物達と何も違わないって思ってるから。他の生き物達は、身の危険を感じた時と、お腹が空いた時以外襲ってこない。こっちから攻撃しない限り普段は平和だし、それでも襲ってくる時はお腹が空いてるんだから仕方ないよね」

琴音は、当たり前のことのようにそう言った。

逆に、身の危険を感じているわけでもお腹が空いているわけでもないのに、当たり前のように他の生き物を襲うのが人間。

それを言っているようにも、良太には感じられた。

だとしてもその通りだなと思った。

他の動物や植物を、自分が生きるのに必要とする分以上に、取れるだけ取って商品として売るビジネス。レジャーとしてのハンティング。

琴音はそういう事とは無縁で、自分自身も自然の中の一部として生きている。他の存在達と同じように。これが本来、自然な生き方なんだなと良太は思った。

喜助が、食べられそうな草を集めてきていた。

この季節は野草も元気でよく育っているので、採れる物も多い。

ツユクサやアオミズ、ウワバミソウなどが見つかった。

出かけてきた時点では今日のうちに村へ戻るつもりでいたから、今日の分の弁当くらいしか無くてそれでは足りない。

持ってきた握り飯などは、琴音がいつも使っているという平らな石の上に並べた。

取ってきた野草は、そのままで食べられる物もあり、スープにしたり茹でたりしても美味しく食べられる。

琴音が普段調理するのに使っているのは、石を積んで作った囲いだった。

その中に乾いた小枝や枯れ葉を入れて、喜助がライターで火をつけた。

「普段はどうやって火をつけるんだ?何も無さそうだけど」

喜助が、琴音の方を見て聞いた。

「ここにくる時に虫眼鏡持ってきたから。これは元々私の持ち物だから、施設から盗んだんじゃないしいいかなぁって。便利だよ」

「そういえば、学校の理科の時間に習ったようなやつ?虫眼鏡で光を集めたら紙が焦げるとか。燃えるまでやってみたことは無かったけど」

「危ないとか言ってやらせてくれないよね。私は古新聞も持ってきたんだけど、それを使った。どうせ捨てる物だから、これだったら持ってきてもいいかなぁって。夏はあんまり火使わなかったし、持ってきた分で今までちょうど足りたんだよね。燃えやすいように黒のマジックで塗ったり、丸めて皺作ったり色々工夫してけっこう何とかなったよ」

「ちょうど新聞紙が無くなった時に俺達が来たってわけか。いいタイミングだな。というか、そういう風になってんだろうな。ライターだったら何本か持ってるから使ってくれ」

喜助が言った。

「ありがとう。使わせてもらう」

「必要な物は必要な時に・・・か。食べ物にしても、道具にしても同じなんだな」

良太は、大切なことに気がついたようにそう言った。

「そういうこと。無理やり頑張ることって無いと思うよ。他の生き物達だってね、人間みたいに色々悩んだりあくせく働いてないけど、誰も困ってないからね」

「その通りだな」

「考えたら当たり前なのに、忘れてたかも」

琴音は、自然に生えている木から果物が取れる事も教えてくれた。

「畑とか作って何か植えようとかは思わなかったの?」

良太は、その事も気になっていたので聞いてみた。

「自然に生えてる物で、食べられる物ってけっこうあるんだよね。さっき自分で言ったじゃない。必要な物は必要な時に必要な分だけ手に入る。頑張って作らなくても大抵間に合うから」

「そうなんだね。俺も田舎で育ったから自然と寄り添って生きてるつもりだったけど・・・頑張って作らなくても食べていけるんだ」

「自分が今日必要な物はね。なんでか分からないけど、手に入るんだよね。だから、ここへ来て何も食べられない日って無かったかな。そういえば。冬はさすがに食べ物少ないんだけど、ごろごろ寝てる事が多いから大してお腹空かないんだよね」

琴音はそう言って笑った。

「言われたらそうだよな。冬は日没も早いし日の出も遅いし。喜助さんも俺もシロも、冬の方がたしかに睡眠時間長くなって、夏になると自然に早く起きてる。食べるのは冬でもけっこう食べてるけど」

「美味しい食べ物が近くに沢山あるから、見たら欲しくなるんじゃない?」

「そうかも。体じゃなくて脳が欲しがってるのかも」

この地域の気候は、冬の寒さが北国ほど厳しくはない。

山の方では真冬には時々雪が降るけれど、外を歩くのに難儀するほど積もることはまず無いし、遭難して凍死するような恐れも無い。

琴音が言うには、真冬でも生えている草花はあるらしい。

秋の間に取って残しておいた物もあったし、出る時に持ってきた飴やガムを冬まで残して少しずつ食べたということだった。

「施設を出ようと思ったのは小学校の終わりくらいからだったから。飴とかガムとか、かさばらなくて保存出来る物が出た時は食べないで取っといたんだよね。それとか、他の子と交換したりしてね。パンとかお菓子とか大きくてお腹いっぱいになる物の方が皆んな欲しがるから喜んで交換してくれるし」

「けっこう計画的だったんだね」

「ずる賢いだけかもしれないけど。よく言えば生きる知恵かも」

犬のシロが、琴音の手の甲をペロペロ舐めて尻尾を降っている。

「シロも琴音ちゃんが好きみたいだね」

「そうなの?シロ」

琴音は、シロの首のあたりをワシャワシャと撫でた。

「ここで暮らしてるとね、色んな動物とか虫とか来てくれて、一人でも寂しいって気が全然しないんだよね。最初はどうなるかなあって思ったんだけど。木も草花もちゃんと生きてるし、話しかけたら答えてくれるし、だから友達は周りに沢山いる。食べ物も、自然の中にちゃんと用意されてる。ものすごくお腹空いてきたら、食べられる物がどれかも何となく分かるんだよね。山に一ヶ月位いると、色々分かってくるから面白いよ。暗い時でも物が見えるようになるし、遠くまで見えるようになる。それもあって怖さが少ないのかも。そういえば最初の一週間くらいは怖かったかな。だから出来るだけ日が暮れるのが遅い夏至の頃を選んで出てきたし」

「凄いね。山に居ると視力まで変わるんだ。今が8月だから、ちょうど1年ちょっとぐらいなんだね」

「持ってきた食べ物が完全に尽きたのが、春くらいだったんだけど。冬は越せたし何とかなるもんだね」

「持ってきたのって飴とガム?」

「あとは金平糖とか、黒砂糖のお菓子とか。塩は、中学になってから月千円のお小遣いがあったからそれで買った。自然塩って体にとって一番大事みたいだから。あと、クッキーとか煎餅もあったけど最初の方で食べちゃった」

山の中で一人で住んでいたというのを最初に聞いた時は、きっと大変だっに違いないと良太も喜助も思っていた。

けれど琴音が話すのを聞いていると、そこに悲壮感は全く感じられなかった。

ボストンバッグに詰められるだけの服と食糧を詰めて、夜更けに一人で出てきたと言う。

今まで世話になったお礼と「ごめんなさい」と書いた手紙を置いてきたから、自分の意思で出て行った事は伝わったと思うと琴音は話した。

都会で一人で生きるより山の方に行くのは最初から決めていて、その場合水をどうするか、食べ物をどうするかなど一年以上前から考えていたと話した。

琴音の話を聞いた良太と喜助は、山で逞しく生きていく琴音の日々の生活の様子を、ありありと想像することが出来た。

琴音は話すのも上手いらしい。

話に出てくる琴音の強かな生活力には、悲壮どころか明るささえ感じられた。

三人は、野草を使ったスープとサラダ、喜助達が持ってきた握り飯と漬物、卵焼きなどの食べ物を並べて、賑やかに話しながら食べた。

明日から喜助と良太、シロもこの辺りで寝起きするために、住める場所を探す事になる。今日はもう暗くなったし、明日の朝からゆっくりやろうということになった。

元々洞窟だったところを利用した琴音の住居は、琴音一人が寝るには十分でも、全員が入るには狭かった。

夏のことだし、今日ぐらい外で寝てもどうという事は無い。

この季節蚊が多いけれど、天然のペパーミントオイルを使った自家製の虫除けスプレーを良太が持っていた。

夕食の後、喜助と良太は、どの辺りで寝ようかと地面の平らな所を探し始めた。

「誰か来てる」

琴音が言ったけれど、二人は何も感じなかった。

それから数分もしないうちに、暗闇の中からリキが現れた。

馬ぐらいの大きさになっているので、なかなかのインパクトがある。

すっかり暗くなった森の中で、淡く光る体。

緑色の目が爛々と輝き、二つに分かれた尻尾の先がユラユラと揺れている。

「リキ!来てくれたんだ。突然現れたしびっくりしたよ」

もし知らないで見たらきっと怖いだろうなと和人は思った。

「さっき、誰か来てるって琴音ちゃんが言ってなかったか?よく分かったな」

喜助は、ついさっきの琴音の一言を思い返してそう言った。

「そうだ。そういえば。凄いね。俺は全然気が付かなかった」

「俺も今初めて気がついたよ」

「山に居ると、感覚は鋭くなるよな。っていうか本当は、人間でも他の生き物でも誰もがそれくらい持ってるんだけど。忘れてるんだよね」

こっちへゆっくり歩み寄ってきたリキが言った。

普通の猫だったらけっこう大変な距離だけれど、妖怪のリキにとっては、これくらい移動するのは何でもないことだった。

「持ってきてやったぜ。泊まるつもりじゃなかったから、何の用意もなかっただろ。タネ婆さんと茜さんと和人が用意してくれた」

リキは、背中に背負っていた物を下ろした。

下ろしたというのか、リキがスーッと小さくなれば荷物はそのまま下に落ちる。

荷物の中身は、二人用テント、野外で使いやすい鍋や調理器具、缶詰やパン、米などの食料品だった。

「ありがとう。リキ。助かったよ。皆んなも考えて用意してくれて、ほんと嬉しいよ」

良太が言った。

荷物の中身は、今一番欲しい物ばかりだった。

「今日は外で寝るつもりで、どこにしようかって思ってたとこだ。ありがとな。リキ。助かった。用意してくれた皆んなにも礼を伝えて欲しい」

喜助も荷物を受け取りながら、リキに向かってそう言った。

「やっぱりね。必要な物は必要な時に。ありがとう。リキ」

琴音がそう言って笑う。

確かにすごくいいタイミングだった。

外で寝ようと思ったところでテントが来たわけだ。

喜助と良太は、琴音の住居の近くにテントを設置した。

「いつも何時くらいに寝るの?」

良太が、琴音に聞いた。

「時計って見ないから。何時なのか知らないけど暗くなったら寝る感じ。月や星が綺麗な時は、しばらく見てる事もあるけど」

「いいなあ。そういうの。都会から田舎に来て俺も自由に生きてる方だと思ってたけど、そういえば時計はけっこう見てるかも」

「私は時間通りに生活するのが無理だったから。施設でも別に虐められたとか凄く嫌なことがあったとかじゃないんだけど。規則正しい生活っていうのがどうしてもダメなんだよね。起床時間、消灯時間、食事の時間、入浴時間とか全部きっちり決まってたから」

「たしかにそれはしんどいかも。学校もそういうとこあるけど、家に居る間はそこまでじゃないからね」

「私はお腹すいた時じゃないと食べられないし、早く寝たい時もあるし起きていたい時もあるし、毎日違うんだよね。他の人は規則正しい生活で平気みたいだったし、私が変なのかもしれないけど」

「変じゃないと思うよ。本来そっちの方が当たり前なんじやないかな。動物達も虫達も、人間以外はみんなそうやって生きてる」

「ほんと?そんな風に言ってくれる人に初めて会えたよ」 

琴音は嬉しそうに笑った。

喜助は、シロと一緒にテントの中に入って、横になっているうちに熟睡していた。

リキが持ってきてくれた荷物、テントの袋の中には蚊取り線香も入っていたので、火をつけて地面に立てていた。

夏なのでテントの前は開けっぱなしで、いい風が入ってくる。

今の季節は暑いと言っても、村に居る時と比べるとここは格段に涼しかった。

日本では年々少しずつ夏の暑さが厳しくなっていて、喜助が子供だった数十年前の夏と今では比べ物にならない。

今は村でもエアコンや扇風機を使っているし、車の運転中もエアコン無しでは暑くて耐えられない。

そういえばここにはエアコンどころか扇風機も無いけれど、自然の風だけで十分に心地いい。

そんなことを思いながら横になっているうち眠くなってきて、あっという間に熟睡してしまった。

シロも、喜助の隣で四肢を横に投げ出して警戒心ゼロの様子で熟睡している。

外で琴音と話していた良太は、喜助とシロを起こさないようにそっとテントに滑り込んだ。

琴音とは、初対面なのにすぐに打ち解けた。

何でも素直に話せるし、一緒に居てすごく心地よくて、いつまでも一緒に居たいと思う。

明日も会えるのが楽しみでたまらない。

「これってもしかして・・・好きになったのかな」

良太は、自分だけに聞こえる微かな声で呟いた。


リキは、皆んなが寝たのを確認してからその場を離れた。
村へと戻る道を走る。

暗い森の中をゆっくりと走る間に、山の主にも会った。

三体の中の、白狼の言葉が伝わってきた。

すぐ近くに気配を感じる。

横を走ってる様子。

「人間が増えたようだな」

「今日二人来てるから」

「今のところ山を荒らす気配は無さそうだが」

「そういう人間達は居ないよ。俺が知ってる限りでは」

「これからも増やすつもりなのか?」

「できるなら、村を捨てて山奥に移住したいと考えてる。もちろん約束は忘れてない」

「村は諦めて、山の方まで開発が進むのだけは食い止めるということか?」

「皆んな今はそう考えてる。村に残ろうと思って頑張ると、戦いになって面倒なだけだ。人数でも権力でも、こっちに勝ち目は無いし」

「村を開け渡せば奴らは満足すると思うか?」

「少なくとも当分の間は」

「約束を忘れてないならそれでいい」

巨大な白狼は、道を逸れて森の奥へと姿を消した。

リキは、走りながらこれからのことを考えた。

山の主は、今居るメンバーを認めてくれたと思う。

琴音がいいと言うなら、最終的には村に居る全員が移住出来ればいいと思った。

琴音の山の中での生活を見て、村の人達でも何とかなりそうな気がした。

今まで静かに暮らしていた琴音の邪魔をするのでなく、程よい距離で付き合いながら、協力していければと思う。

そして何よりも、山の主との約束を忘れてはいけない。

リキは白い布の階段を駆け降りて、螺旋階段を上がり、門番の居る場所まで戻った。

ここからさらに、獣道を走って村へと戻る。

途中、ムジナ達がやってきて隣を走り始めた。

彼らも妖怪で、今は通常サイズになっているリキと同じくらいの体の大きさだった。

普通の狸と違うのは、全体に赤っぽい毛の色と、金色に光る目。体の大きさからすると少々バランスが悪いほど大きな尻尾。走るとその尻尾がフサフサと揺れて、体全体も淡く光る。

「村からは出ることにしたのか?」

横を走っていれば、リキの考えていることは大抵伝わるので、ムジナ達が聞いてくる。

「そうしようって話になってる」

「山まで開発を広げて来られるとこっちも困るからな。阻止するためだったら協力するぜ」

「有難い。その時は頼む」

ムジナ達は今でも、むやみに山に入ってきた者を誑かし、道に迷わせて追い返す。

けれどそういう人間に対しても、怪我をさせたり殺す事まではしないから安心して見ていられるとリキは思っている。

ムジナ達がこういったやり方で阻止を続けてくれるなら、開発を進める奴らも山に入りにくくなるに違いない。

それだけでもかなり助かるとリキは思った。

他にも、普通の狸達も頑張ってくれるはずだし、最初の作戦の時と同じく猫達も犬達もカラス達も協力してくれるに違いないと思っている。

リキが戻ると、猫達数匹がすぐに寄ってきた。

猫達はいつも好奇心旺盛で、リキが見てきた事も早速聞きたいらしい。

人間も犬達も、ほとんどもう寝ている。

起きて話していた和人と茜が、リキに気が付いて中から出てきた。

「おかえりなさい」

「おかえり。どうだった?」

「帰りに山の主に会ったけど、人間が増えたなと言いながら見逃してくれた。今のところ山を荒らす気配は無さそうだからって。本当に認めてくれるかどうかはこれからだけど。ここの皆んなが村を捨てて山奥に移住しようとしてる事も伝えたけど、約束を忘れてないならそれでいいと言ってくれた。俺はテント届けて皆んなが寝るまで見てきたけど、二人は山での暮らし方を琴音ちゃんから色々教えてもらってるし、いい流れだと思う」

「そうか。良かった。未来は分からないし安心してばかりはいられないけど、とりあえずは。このままうまくいきそうなら次は誰から山に行くかだな」

和人が言った。

「寿江さんが行きたいんじゃない?」

リキの隣に座っていた黒猫が伝えてきた。

和人も茜も、猫の話す内容をテレパシーで受け取ることができる。

二人とも、寿江が行きたがるだろうという予想はしていなかった。

「何でまた寿江さんが?」

和人が聞いてみると、猫は当たり前のように答えた。

「喜助さんと寿江さんって付き合ってるでしょ」

「ほんとに?全然知らなかった。喜助さんはたしか随分前に奥さん亡くしてるし一人だから、そう言われたらあり得なくはないよな」

和人は、言われてみればなるほどと思ってそう言った。

「私はまだこの村の人達のことよく知らないけど、喜助さんって逞しくてかっこいいし寿江さんはセンス良くて素敵だし、なんか分かる気がする」

ここまでの会話を聞いていた茜が言う。

和人は、自分の親ほどの年齢の人達が恋愛をするとは思っていなかったから最初意外だったけれど、聞いてみたらあり得なくはないと思ったし、それならそれで応援したい気持ちになった。

「俺も気が付いてたけど、人間ってけっこう鈍いんだな」

リキも気が付いていたらしい。

人間以外は皆んなテレパシーの会話が当たり前だし、そういう事にもすぐ気が付くらしい。

「人間が一番鈍いのかもな。なんかショック」

「人間は頭で考えるのがクセになってたり、言葉に頼りすぎてるのかもね。私も今より子供の頃の方が、まだ直感鋭かった気がするし」

「そうだよな。俺もそんな気がする。この事以外でも、直感って大事だもんな。リキや動物達と一緒に居るうちに、子供の頃くらいまで直感の働きが戻るといいけど」

8月16日

喜助さんと良太君に続いて、寿江さんが山に行って数日経った。

リキが、山の方と俺の家と、行ったり来たりして情報を伝えてくれるからとても助かっている。

こっちでは、山へ移住することに向けて要らない物を処分したり、山で使えそうな物を集めてきたりという準備に入っている。

ここに居る人間も動物も全員一致で移住を目指しているけれど、声に出しての会話でその話題は絶対に出さない。

この事について話したい時はテレパシーで伝え合う。

もしかしたらまだ探しきれてないだけで盗聴器があるかもしれないから。

リキと猫達が言っていた、喜助さんと寿江さんが付き合っているというのは本当だった。

寿江さんに話したら山へ行く事をすぐに承諾してくれたし、喜助さんと付き合っているのかということもついでに聞いたら、あっさり「そうだよ」と答えてくれた。

今まで俺が聞いてみなかっただけらしい。

猫又のリキや猫達の方が、やっぱり人間より色々よく見てるのかも。

寿江さんの家も震災で使えなくなってるし、村に未練は無いのかと思う。

あの場所まで行くにはリキの案内が居る。

寿江さんが行く時はリキがついて行ってくれて、目的地に寿江さんを送り届けたらまたリキだけ戻って来た。

リキに聞いたところによると、良太君と琴音ちゃんもずいぶんと仲良くなっているらしい。

十代の若いカップル、年配の二人のカップル、そこに加えて犬のシロと、いいバランスで楽しくやっているらしい。

8月17日

山の方では時間がたっぷりあるから、琴音ちゃんの住居と同じような洞窟を利用した住居が、もう一つ出来上がっているらしい。

元々あった琴音ちゃんの住居は、もう少し広く作り直して良太君と一緒に住んでいるという。その隣に喜助さんと寿江さんの住居があり、シロは日替わりでどちらにも行っているらしい。

最初の日はテントだったけど、元々あった洞窟をそのまま活かした家らしいものが出来て、今は夏だから食べられる野草も豊富ということだった。

川がすぐ近くにあって、水は綺麗だから飲めるし、服のまま飛び込めば洗濯も風呂も一緒に済ませられるとか。

今は暑いしそれでいいけど、けっこう野生的な生活をしている様子。

冬になればお風呂が恋しくなるかも。

それも工夫すれば何とか出来そうな気がすると、リキが言っていた。

ドラム缶の空いたやつを持って行ったら使えるかも。

今は、料理に使う水は川から汲んできているみたいだけど、川から水を引いてくることも出来るかもしれない。

それくらいなら多分、山の自然を壊すことにはならないと思う。

大自然の中が広大なトイレということらしいけど、人数が増えたらそれも何か考えた方がいいかもしれない。

野生動物も皆んなそうなんだから人間もその中の一匹だと思えば、数匹増えたくらいでどうということは無いと思うけど。

これから人数が増えて数十人とか百人とかなってくると、そうもいかないかも。

山で暮らそうと思い始めた頃から、俺も色々調べるようになった。

排泄物に灰を混ぜて堆肥化する方法とかもあるらしい。

そういうのが自作できるか調べて、出来そうならチャレンジしたいと思う。

雪国ほどではないにしろ、冬になると山の方では雪が積もるだろうし、食糧も少なくなると思う。

その時どうするかも、考えておかないといけないのかもしれない。

ここまで書いてて思ったけど、琴音ちゃんはそういう心配はしていなかった。

冬になると睡眠を沢山とって、あまり動かないしお腹も空かない。けっこうゴロゴロして過ごしてるとか言ってたような・・・

それでも食べられる物が何も無くなるわけではないし、生きていけると。

本来それでいいんだと思う。

俺もそうだし、ほとんどの人間が多分、バタバタと忙しく働いていないと落ち着かない気持ちになるという習性がある。

一日中何もしないことは悪いことだと思っている。

でも、それって本当にそうなのか?

いつからそういう風になったんだろう。

俺も、会社勤めをしている人に比べたらのんびりしてる方だと思ってたけど、琴音ちゃんの生活の事とか聞いてると、まだ心が自由じゃないなと思った。

もっと楽に考えてもいいんじゃないかと、最近ようやく思えるようになった。

8月20日

昨日、俺の家で二つ目の盗聴器が見つかった。

やっぱりあったかという感じで、誰もそれ程驚きはしなかった。

あまり動かしていなかった家具の裏。

こっちも最初から警戒して、聞かれてまずい話は一切していないから、別に聞かれていたってかまわない。

逆にこれを利用してやろうかという話になった。

もちろんテレパシーの会話。

盗聴器をあえて取り外さずに気が付いてないフリで、こっちにとって都合のいい事を話してみてはどうか。

そういう作戦で行こうという話がまとまり、テレパシーで話したり手書きのメモを回して全員で情報を共有する事になった。

最初はハニートラップを仕掛けてきて、うまくいかなかったと見ると今度は命を狙いに来た。

タネ婆さんも俺も狙われたように、開発を進めたい側は俺達を排除したいらしい。

あいつらにとっては俺達が出て行けば目的達成なわけで、そうなったらそれ以上執拗に追ってくる事も無いと思う。

だから、村を諦めて出て行ったと見られるのは構わないとしても・・・

俺達は山の主と約束したのだから、開発を山の方まで広げられては困るし、俺達の移住する先を見つけられても困る。

どこへ行ったかは知られたくない。

8月21日

俺と茜さんが話していたら猫達が集まってきた。

タネ婆さんも来て、何となく会合の感じになった。

盗聴器の存在はわかっているから、誰も言葉では話さない。

くつろいだ感じで座りながら、テレパシーの会話が始まる。

「山の様子を見に行ったことにして、一人ずつ消えていくっていうのは?」

近くにいた三毛猫が提案してきた。

「それ良さそうだな。山道で起きたあの大事故は皆んな記憶に新しいはずだし。車に乗ってて大怪我した開発推進チームのメンバーから、何が起きたかはあいつらも聞いてると思う。だとすると、山に何か恐ろしいものが居るといった情報は既に回ってるはずだよな。山に近付いた人間が次々居なくなるってストーリーは、うまく使えると思う」

リキが賛成してそう言った。

「今の時点で山に入ってる三人を、最初に見に行ったメンバーということにして・・・三人が帰って来ないからと言って、次に誰か様子を見に行くとか。こういう会話をわざと聞こえるように話しておけばいいんじゃないかな」

俺も思ったことを言ってみた。

「それでいけそうだな」

リキがそう言ったのを合図に、そこからはわざと声に出してゆっくりと、集まったメンバーで会話を始めた。

「喜助さん達が行ってから、もうけっこう日が経つよね」

茜さんが早速言い始めた。

「何も無いといいが・・・そろそろ誰か見に行った方がいいかもしれないねぇ。山で迷って帰れなくなることだってあるから」

タネ婆さんが、そう続けた。

「私達が行こうか?」

隣に座っていたキクが言った。

さっきから夫婦で何やら話していたらしい。

「行ってくれるのかい?危険が無いとは言い切れないが・・・」

タネ婆さんは心配そうに言う。

「じっとしてても余計心配になるだけだからな。行ってくるよ」

夫の善次も、キクに賛成してそう言った。

「私もそう思う。それに、地震で店も潰れたし。ここに居てもすることないからねぇ」

キクがそう言い、二人は早速出かける準備を始めた。

「これまた気の早い。今から行くのかい?」

「今日はちょうど天気もいいし。夜の山に行くのは、さすがにちょっと気が進まないからね。行くなら昼間の方がいい」

「暗くなる前に行ってくるよ」

「山では何があるかわからないですから、気をつけてくださいね」

俺は二人に声をかけた。

「大丈夫。十分気をつけるし、夜にならないうちに戻るからね」

キクは笑顔でそう言った。

本当は、リキが送ってくれるし向こうには皆んなが居るし、危険が無いことは分かっている。

昼間だから、二人と一緒に歩いていくリキの姿は、大抵の人間からは見えないはず。なので、リキは堂々と付いていける。

倒壊したり焼け落ちた建物だらけでめちゃくちゃになっている村には、どっちにしても人が来ることはほとんど無いけれど。

それもあって、人に見られる心配は少ない。

リキは、山道まで行ったら二人を乗せて運んでくれると思う。

皆んなで口々に「気をつけて」と行って二人を送り出した。

俺達は知っているからわざとらしいと思うけれど、知らない者が聞いたら本当に山は怖いと思ってくれるはず。

俺達の間では、今日から二週間くらいかけて少しずつ、山に移動しようという話になった。

犬や猫達と一緒に暮らしている人達が行く時は、動物達も一緒に行く。

野生の猫達は、最後まで残ってくれるらしい。

俺も当然、最後まで残ろうと思う。

8月24日

昨日の夜中、タネ婆さんの家から火が出た。 

今は、タネ婆さんも茜さんもこっちに来ているし、あの家には誰も居ない。火が出る要素なんか無いのに。

放火の可能性もあるということだけど、証拠は無いらしい。

未だ復興の兆しがなく放ったらかしの震災後の事だって怪しいし、刺客は送ってくるし、盗聴器は仕掛けるし、何が起きても今さらもう驚かない。

 タネ婆さんは、貴重品と残っていた食糧は持ってきたから別にかまわないと言って気にしていなかった。村を捨てて山に移住すると決めた時から、どちらにしろ家は手放すしかないから同じ事だと。

善次さんとキクさんが山に行った後、昨日までにさらに五人が出発、共に暮らしていた犬達も一緒に移動した。

言葉での会話では、山に行った皆んなが帰ってこないから、犬を使って捜索してみようという話をした。

次々に山に入って誰も帰ってこなくて人数が減っている話は、開発を進めている奴らも把握していると思う。盗聴器は取り外してないし、こっちの話は聞いてるはずだから。

それでもなお、タネ婆さんの家を焼いたのだとしたら・・・

この家だって安全ではないかもしれない。

少しずつ人が減っていくのを根気良く待つよりも、一気に決着をつけようと思ったのか・・・もしそうなら、早いうちに全員出てしまった方がいいのかも。

8月25日

今日は山の方を見に行ってきた。

いつものようにリキが連れて行ってくれて、本当に助かっている。

リキは人間の俺達よりずっと活躍してくれてるかも。

山の主達と話しもしてくれている。今のところ、自然を壊すような暮らし方は誰もしていないから、怒りを買うような事は無いらしい。

今のところ何とか、全員遠くない範囲で住む場所を見つけている。

自然に存在する洞窟の様な場所も、探せばけっこうある事が分かった。

あと8人増えても何とかなるか・・・もしこれ以上洞窟を利用することが出来なければ、山にある材料を使って家らしき物を作る手もある。

今は季節が夏なのも運が良かった。川で水浴びや洗濯をしても寒くないし、家作りの作業もやりやすい。

冬になる前に、川から水を引いてくる事と、ドラムカンを使って風呂ができたらいいなあと思う。

干して保存できる草花や野菜果物を、今のうちに採って冬に備えれば、食べ物が少なくなる寒い季節も乗り切れると思う。

根菜類は土を掘って埋めておけばいいと、タネ婆さんが言っていた。

あと、漬物を多めに作っておくと冬に食べられる。

山の主達から見て、共存出来ると思ってもらえる暮らしが出来ればいい。最終的には人間が18人と、その倍以上の数の動物達が行くことになるけど、動物達は自然を壊す住み方はしないと思うし。俺達人間が、家を作ったり畑を作る時、考えなければいけない事だと思う。

 

今日帰ってタネ婆さんから聞いたけれど、俺とリキが居ない間に、ここに訪ねて来た者達が居たらしい。

市の職員で、震災に遭った人達に向けて予防接種を無料提供すると言ってきたという。今年は新型インフルエンザが猛威をふるっていて、人が集まっている避難所は危険だからという事らしい。

皆んな家が潰れたり焼けたりして、元住んでいた家に入れない、水道やトイレが使えないという事が普通に起きているのに。注射なんかいいからそっちを何とかしてほしい

当然皆んなそう思ったらしく予防接種など要らないと言ったけれど、相手はしきりに「無料ですから」を強調したらしい。

無料と聞けば何でも飛びつくと思われているのか。ナメられたもんだと思う。

タネ婆さんが「無料って言ったって税金だろうが」と言ったら、諦めて帰って行ったらしい。

動物達を見ていれば分かるけど、人工的な物に頼らなくても健康を保っているし、寝たきりになっているような者なんてもちろん居ない。

人間でも、高齢で元気なく人を見ているとそれに近いものを感じる。ほぼ生涯にわたって元気で、死ぬ時はあっさり。俺の両親もそうだった。タネ婆さんにしても、病院へ行ったのなんて見た事ないけど90歳を過ぎて健康そのものだし。

俺も最初は、この家に愛着もあるし出来ればこれからもここに居たいなあと思ってたりしたけど。

開発を進めている側は、ここを元通りにするつもりなんてさらさら無さそうだし。何なら今居る人間をさっさと始末してでも開発を進めたい様子だし。これ以上この場所に執着しても仕方ないと今では思う。

山に行って見る度に、新しい住居が出来てたり、皆で工夫して暮らしを楽しんでいる様子が見えて、こっちの方がいいなあと思うようになった。

先に行った人達は「皆んな早く来ればいいのに」と言ってたし。



和人が日記を書き終えた時、リキが近くに寄ってきた。
尾をピンと上げてゆっくり歩いてくる様子は、普通の猫としてここで生きていた頃と変わらない。

「全員を移動させるのに、あと3回くらいかな」

「いつもほんと助かる。ありがとう。人間動物合わせて、乗せられるのが一度に3〜4人ってとこ?」

「全員いけなくもないけど。体は今まで和人に見せたよりもっと大きくもなるし。けど、目立つだろ」

「それはやっぱりそうだよな」

「山に行った人間がどんどん居なくなるのに、まだ探そうとして全員山に入るっていうのもなんか不自然かもしれないし」

「たしかにそれも言えるな。いくら心配だとは言っても、何が起きてるか分からない不気味な所に、やたら行きたがるのも変だよな」

最初は、二週間くらいかけて少しずつ移動するつもりで九月初旬に移住完了を予定していた。

けれど、タネ婆さんの家から火が出るなどの事件も起きたし、このままここでのんびりしていたら危ないかもしれないと思い始めた。

リキと和人がテレパシーで会話をしていると、いつの間にか全員集まってきていた。

表面上は、人間も動物も、それぞれ寛いで座っているようで無言。

茜がスマホで音楽を聴いているけれど、これも多分、あまり静かだとかえって不自然だからそうしているらしいと皆分かっている。

全てが暗黙の了解で通じ合っている。

「帰る所がある者は街に住む家族の元に帰ることにしたっていうのはどう?」

村人の一人がそう言った。タネ婆さんの次に高齢だけれど、元気で働き者でしっかりした女性。

「それが自然だろうねぇ。私は茜と一緒に街に帰るってことにするよ。ほとんど全員それでいけるんじゃないかねぇ」

「もし調べられたって、街に行こうと思えば行ける場所もあるし嘘じゃないものねぇ」

「俺は帰る場所って無いんで、一人でここに残っても仕方ないからもう一度皆を探しに行くという事で山に入ります」

「俺達も一緒に行ってやろうか」

「俺も行くぜ」

「私も」

「そうね。人間一人じゃ心配だから」

「リキが居るし大丈夫とは思うけど。何が来るか分からないし」

周りに居た犬達、猫達から声がかかる。

「良かったな。和人」

リキもそう言ってくれる。

みんなの気持ちが、和人にはとても嬉しかった。

「こんな事ばっかり続くんじゃ気が滅入るねぇ。家も無くなったし」

タネ婆さんが言い始めた。

「おばあちゃん。私が帰る時、一緒に帰って来たら?前から言ってるじゃない」

茜が調子を合わせる。

「そうだねぇ。ここに愛着があったけど、もう潮時がねぇ」

「実は私も、街に娘夫婦が居るから。帰ろうかなあと思ってるんだよ」

タネ婆さんの隣に座っている老婦人が言った。

「皆んな帰ってちまうのか。寂しいのう。それだったら儂も・・・」

皆んな口々に帰ると言い始めた。

あらかじめ打ち合わせをしたわけでも何でもないのに、皆んな上手く話しを合わせている。

ここのメンバーだけの秘密にしたいテレパシーの会話から、わざと聴かせるための言葉での会話へ。

これが出来ている限り、どんな監視システムを使って支配しようとしてきても平気だと和人は思った。

テレパシーの会話は、何か道具を使うわけでもなく、伝えようと意図して思考するだけで伝わる。しかもそのスピードは会話より早い。

テレパシーの会話と言葉の会話を織り交ぜても、少し慣れてくると上手くやり取りが出来る。聞かれたくないところと聞かれていいところ、スイッチのオンとオフを切り替えるような感じだ。あまり長くやると疲れるけれど。

生まれつきあまり口数が多い方ではなく、言葉でくどくどと説明するのが苦手な和人は、テレパシーの会話の方が楽だなと思い始めていた。

どんな風に言おうとか悩まなくてもすぐに伝わるし、こちらに悪意がなければその事も一緒に伝わる。逆に、相手が腹の中で何を思っているかも伝わってくる。言葉では嘘を吐けるけど、エネルギーでは誤魔化しは効かない。

和人が、自分は帰る家も無いし、もう一度皆んなを探しに行くと言うと、危ないから止めろと言って全員が引き留めにかかった。

それでも和人が考えを変えないのを見て、最後は止めるのを諦めて「くれぐれも気をつけて」と言って、見送ってくれる事になった。

全部聞かせるための演技だけれど、皆んなめちゃくちゃ上手いし、自分もまあまあそれらしく出来たかなと和人は思った。

翌朝、リキの案内で夫婦一組とタネ婆さんが出発した。猫達も数匹ついて行く。この家に隠しカメラが付いている様子は無いから、誰がどこへ行ったかまでは、盗聴器で聞いている側には分からないと見ている。

何を持ち出したというのも見られる心配は無いから、持てるだけの食糧や生活の道具を持って行く。後に続く者も同じように持てるだけ持っていくつもりで、置いていた米や漬物、調味料なども荷物にまとめた。

皆んなを送った後リキはもう一度戻ってきて夕方に、残る村人三人と茜を山に移動させる予定だった。

和人が最後まで残り、翌日に出発すれば、ここは無人になる。

決めたことだけれど、去るとなるとやっぱり名残惜しい。そんな気持ちで、和人が一人で庭を眺めていると、茜が近づいてきた。

「今大丈夫?話したいことがあるんだけど」

微かな緊張感が伝わってくる。改めて話したい事って何だろうと和人は思った。

「いいよ。今用事も無いし」

出来るだけさりげなく答えながら、和人は何故か自分も緊張してくるのを感じていた。

「私、和人さんのことが好き。ここで一緒に過ごすようになって少しずつそんな気持ちになって・・・片思いでもいいんだけど、今言うチャンス逃したらもう無いかなって。自分の気持ち言いたかっただけだから。言ったらスッキリしたかも。聞いてくれてありがとう」

茜は、真っ直ぐに和人の目をを見て最後まで言い切った。凛としたエネルギーを感じる、少し緊張している時の表情も、和人は美しいと思った。

言いたいことを言い終わると、いつもの茜らしい穏やかな笑みを浮かべる。その優しい表情も、普段のおっとりと柔らかな話し方も和人は好きだった。

その気持ちが恋愛なのかどうか・・・自分でもよく分からなかったけれど、今の告白を聞いて明らかに胸が高鳴った。

「俺も、茜さんのことは好きだと思う。恋愛なんて長いことご無沙汰だったから、この気持ちが恋愛なのかどうか正直はっきりしなかったんだけど。今、すごく嬉しかったから。俺も好きなんだと分かった。ありがとう」

気持ちを言葉にするのは苦手な方なのに、思っていることを素直に全部言えたと和人は思った。

「男性から告白されるのを待ちなさいって親からは言われるんだけど。私の性格って、思ったら言わないとダメみたい」

「俺はそういうの気にしないし、言ってくれてむしろ嬉しかったよ」

これも本心だった。男性から告白するものだという事も和人は思ったことが無いし気にならなかった。どちらかと言うと今までの恋愛も相手から来てた気がする。

お互いに気持ちを伝え合ったことで、これから移住するのにも楽しみが増えたと和人は思った。

一人で生きてきた人生もそれなりによかったけど、これから先は一緒に生きられる人が居る。

その日の夕方、リキが再び迎えに来て、和人以外の全員が出発した。

「気をつけて」と見送る言葉や、去っていく方の「お世話になりました」という言葉は、盗聴器から聞かれているはずと、皆んな意識していた。

テレパシーでの会話では「またすぐに会えるね」と伝えあった。

今出発した皆んなも持てるだけの食糧や生活用品を持って行ったけれど、持ちきれなかった分を和人はリュックサックに詰めた。

明日朝にはここを出る予定で、一つ一つの部屋を回る。

「ありがとう」と言葉をかけると、涙が溢れそうになった。

和人はこの家で生まれて、この家で育って、両親、祖父母、リキと暮らしてきた。家の中を、庭を歩きながら、三十二年数ヶ月の今までの人生をゆっくりと思い出した。

自分のこれまでだけでなく、代々この家に住んできたわけだから、和人の親の代も、祖父母の代も、さらにその前も、人々がここで生きてきた歴史がある。

「守り切れなくてごめん」

和人は、家に向かってそう呟いた。

先祖が今まで守ってきた家を、自分の代で手放してしまう。そう思うと本当に申し訳ない気がした。
和人の両親も祖父母も、そういう事を気にする人ではなく、家を守るといったプレッシャーは感じなくていいといつも言っていた。
むしろ和人にとって責任が重くならないよう、気楽に思えるように言葉をかけてくれていた。

妙なもので、それだからこそ余計に申し訳なく思ってしまう。この家の建物に対しても、両親、祖父母、先祖に対しても。

逆に、何が何でも家を守れと言われていたら、反発したかもしれないと和人は思った。

昔は大家族が当たり前だったから家が大きくてもちょうど良かったけれど、人数が少なくなってきたのに家ばかり大きいと、使ってない部屋は傷むし手入れが大変になる。そんな話も祖父母から聞いていて、だから頃合いを見て手放せばいいと言ってくれていた。

屋根や外壁なども永遠に保つわけではないし、修理に莫大な金がかかる前に手放す方が得策だとも言っていた。

それを聞いていた頃の和人は、自分はここでの暮らしが心底好きで街に出るつもりも無いし、家を手放すなど考えられなかった。傷んだ箇所も出来る限り自分で直してきたし、そういう作業もわりと好きな方だった。

まさかこんな事が起きて手放すことになるとは思わなかったけれど、最後に避難所としてここを活用出来たのだけは良かったと思った。

明日はすぐに出られるようにと、荷物は全部まとめて寝室に置いた。それ以外にも山で使えそうな道具など、車に積み込んだ。

喜助の車も、獣道に入る手前に置きっぱなしになっている。車で行けるのはあの場所までで、獣道を上がるのは無理だと和人も分かっている。

一旦あの場所に車を置いておいて、違うルートから迂回してでも山に入れるなら、後日車を移動させようと思った。山に入る時いつも通るルートは「一番近道」なのだとリキが言っていたから。遠くても車で行ける道は他にあるのかもしれない。

自分が出た後にここがどうなるか分からないけれど、それでも綺麗にして出たいと和人は思った。

一部屋ずつ掃除しようと取り掛かったけれど、避難所としてここに居る間に皆が綺麗にしてくれていたようで、やる事は多くなかった。綺麗に使ってくれた事がありがく、こういう人達となら、これから山に入っての生活でもうまくやっていけそうに思えた。

実際ここに居た間にも村人同士の間では、揉め事やトラブルと言えるような出来事は一切無かった。

持って行く荷物の中身をもう一度確認し、戸締りをして風呂に入ると、けっこうな時間になっていた。

軽い夕食を取りながら缶ビールを一本飲んで、居間で煙草を吸った後、和人は寝床に入った。

ここでの最後の夜、色々考えて眠れないかなと思っていたけれど、体の方が疲れていたせいか直ぐに眠りに落ちた。


深夜、部屋の外でパチパチという音が聞こえて和人は目を覚ました。

半分寝ぼけながら何だろうと思っていると、焦げ臭い匂いが漂ってきた。

外で何か燃えている。

異変を感じて和人は飛び起きた。

本能的に枕元に置いていたリュックサックを引っ掴み、部屋の外に出る。廊下に通じる襖を開けた途端、煙が部屋に流れ込んできた。

間違いない。この家のどこかが燃えている。

夜に煙草を吸った時の事を思い出したが、一本だけ吸った後しっかり消した事を確かめ、さらに入念に灰皿に水を入れて完全に火を消しておいた。煙草の不始末で家が燃える事はあり得ない。その他にも、今日は料理など火を使う事もしていない。

煙がひどくて目が痛いし咳き込んでしまい、廊下は進めなかった。諦めて一旦部屋に戻り、外に通じる方の障子を開けて縁側へ出る。

そこから見ると、和人が寝ていた部屋の反対側から勢いよく炎が上がっていた。家の隣にある納屋の方も燃えている。

パチパチいう音はこのせいで、もう少し起きるのが遅かったら自分も危なかったと思い、背筋が寒くなった。

自力で消せるような燃え方ではないし、こうなったらもう逃げるしかないと、走って車の方に向かった。

車のドアを開けようと近づいた時、車の後ろに隠れていた人物が飛び出して来た。月明かりの下で、刃物が光るのが見えた。

相手が突き出してくる刃物の前に、掴んでいたリュックサックを突き出す。かろうじて防げた。

なおも攻撃してくる相手の動きをよく見ながら、ステップバックして距離を取る。

リュックサックには荷物を入れすぎていて重く、盾としてはかえって使いにくい。それでも今持っている物はそれしかないし、体を動かしながら頭もフル回転させて、逃げ切る方法を考えた。

何とか相手の攻撃を躱しつつ、車に乗ってしまえば振り切れるかもしれない。

そう思った瞬間「離れろ!」というメッセージが飛んできた。

自分の頭の中から?

どこから?

車から離れろということか?

分からないけれどそれに従うべきだという気がして、車のドアを開ける手前で向きを変えて横に逃げた。

相手は、一瞬前まで和人が居た車のドアに向けて突進しかけ、すぐに向きを変えて追ってきた。

刃物を持った相手に素手では敵わない。

車を挟んで向き合うのが最大限距離が取れる方法に思えたが、車から離れた方がいいとしたら・・・

必死で考えながらとにかく逃げて、庭に生えている一番大きな木の方に走った。

武器になりそうな物は見当たらない。

せめて自分と相手との間に何か障害物があれば、少しでも違うかもしれないと思った。

「そのまま走れ!」またメッセージが飛んできた。

相手が追ってくるのを背後に感じながら、和人は全速力でそのまま走った。

追いつかれるかと思った時、追ってくる気配が急に消えた。

振り向くと、相手の体が吹っ飛んで、近くにあった木に叩きつけられるのが見えた。

馬ほどの多きさになったリキが、和人の目の前に立っていた。

「危なかったな。間に合って良かった」

「ありがとう。助かった」

「行こう」

「荷物が・・・」

「諦めろ」

有無を言わせない圧を感じたので、和人はすぐにリキの背中に乗った。

リキが、飛ぶように走り出す。

あっという間に家から離れていく。

数十秒経ったかというところで、背後で爆発音が響いた。

「・・・俺の家が・・・」

「車だと思う。猫達が知らせてくれた。怪しい奴が家の周りをうろついていたし、車に何が仕掛けたかもしれないと言ってたから」

「そうか・・・最後までこっちに残ってた子達は夜も見回っていてくれたのか。おかげで助かった。本当に」

今日でこの家とのお別れだというので自分がゆっくり感傷に浸っている間も、猫達は周りを警戒してくれていたのかと思うと申し訳ない気持ちになった。

「俺も皆んなを山に送ってから、夜のうちにこっちに戻ろうと思って向かってたけど。近くまで来た時猫達と会えた。あやしい奴が庭に入っているのに気がついて、見る間に家から炎が上がって、近づけなくなったからこっちに知らせに来てくれた。去り際に見たのが、車に何か仕掛けているところだったらしい」

「皆んな出て行ったし俺も明日には出るはずだったし、これ以上もう何もしてこないだろうと思って油断してた。迂闊だった」

「和人は山に皆んなを探しに行くと言っていたからじゃないか?あいつらからしてみれば、万が一にも皆んなを連れて戻って来られては困るわけで」

「確実に始末しておこうって事か」

「それくらいの事はやる相手だと思った方がいいって事だな」

「荷物も車も無くなったけど、命が助かったんだから良かったと思う。いつも助けてくれてありがとう。生まれ育った村が大好きだったけど、この状況となると離れるに限るって今は思う。あそこまでやるような奴らがウロウロしてる場所に居たら、命がいくつあっても足りないと思うし」

「そうだな。もう戻らなくていいと思う。俺だってあの村は好きだったけど

和人を背中に乗せて、リキは暗闇の中を走った。

誰かが追いかけてくるような様子は無かった。

「追いかけては来ないみたいだな。さっきの爆発で、俺はもう死んだと思われているのかも」

「そうかもしれないな。明日になったら確かめに来るだろうけど。その頃にはもう居ないんだから大丈夫だろう」

住み慣れた村から遠ざかるにつれ、和人の中でもだんだん未練が無くなってきた。

あの場所で過ごした日々が楽しく幸せなものだったことには変わりないし、先祖が守ってきた家を守り切れなかった事に対して申し訳ない気持ちは残るけれど。

十数人で戦ってどうにかなるレベルの問題では無さそうだと分かってしまうと、離れるしかないと気持ちが固まった。

獣道に入り、門番が居る場所まで辿り着く。

そういえば、こんな時間に来るのは初めてだなと和人は思った。

門番の体には尻尾が付いていて、その細い尻尾は木の枝のように先が分かれている。枝のあちこちに光の粒のような物が付いていて明るく光っている。周りが暗いとこの光がよく目立って、何とも言えないくらい美しく幻想的に見える。それに、その明かりのおかげで辺りがよく見える。

夜になるとこうなるのか、門番の体全体も淡い金色に光っている。尻尾の先に付いた光の粒と同じ色の大きな目玉も、夜になると一層よく目立つ。

和人は最初、この時間でも門番は普通に起きてるのかと感心したけれど、そういえば妖怪だから、人間みたいに睡眠は要らないんだと納得した。

「開けてほしんだけど」

リキがそう伝えると門番はいつもの調子で答えた。

「いいけど」

木の幹に部分スッとが割れて、緑色のカーテンが現れる。

所々明かりが灯っている螺旋階段を降りながら、和人はこれからのことを考えた。

登りになってからは、リキが再び和人を背中に乗せて走った。

到着した時はまだ夜明け前だったけれど、近付いた気配で分かったのか皆んなが続々と起きて、リキと和人を出迎えた。

「予定外に早く来るってことは何かあったんだろうけど。無事で何よりだよ」

タネ婆さんが言った。

「リキのおかげだよ。もう出て行くんだからこれ以上何も無いと思って完全に油断してたから。リキが来てくれなかったら今頃居なかったかも」

「そんな風に警戒しないといけない状況も、これからはもう無いといいけどねぇ」

「今のところ、こっちへは誰も来ないからな。このまま続いてくれればいいけど。獣道の入り口あたりでもムジナ達が頑張ってくれてるし」

和人が辺りを見回すと、以前見た時には無かった家らしき物が少し増えていた。

「今日はもう休んだらどうだい?ほとんど寝てないんだろ」

タネ婆さんが言う。

「そういえば・・・」

和人は、さっきまでの緊張感が抜けると一気に眠くなってきた気がした。

翌日から、18人と36匹の生活が始まった。

和人は、茜と一緒に住める住居を作った。皆んなもそれぞれ、一人暮らしだったり二人だったり、動物が一緒だったり、それぞれの住居を近くに作っていた。

どの住居も、元々あった洞窟をうまく利用した物だったり、この山にある物を拾い集めてきて使用し作った物だった。自然を壊すような人工的な物は、ここには何も無かった。

川から水を引いてこようという試みも、少しずつ進んでいる。

場所は少し離れるけれど、湧水が出ている場所も見つけていた。

よもぎなど、傷薬としてもも使える植物は多めに集めてきて、紐で束ねて干してあり、根菜類を保存するための穴も掘ってあった。

トイレとして使用するのにいくつか深めの穴を掘って、焚き木や枯れ草を燃やして出来た灰を底に敷いてみた。ここに毎日灰を混ぜていけば、堆肥として使えるようになると本で読んだ知識があったので、それを試そうという話しになった。

荷物を積んでいた和人の車が燃えてしまい、ドラム缶を持ってこれなかったからドラム缶風呂は出来なくなったけれど、何か違う物で工夫できないかと案を出し合った。

これならと思える案はまだ出なかったけれど、当分はまだ暑いから、川で水浴びをすれば済む。寒くなるまでに考えればいいかということになった。

食事時には、野草を取ってきて油で炒めたり、持ってきた米と一緒に炊いてお粥を作った。芋は茹でて、塩をつけて食べる。

料理が好きな誰かが適当に何か作り、食べたい人は寄ってきて食べる。作業に没頭していたり、少し遠くを見に出かけたり、今日はゆっくり寝ているという者はそれぞれに。
この人数の人間が居ても、一斉に同じ時間に起きようとか、作業を開始しよう食事にしようという事は誰も言わない。

この自由な感じは、和人の家を避難所として皆が暮らしていた頃から少しも変わっていなかった。

早く生活を何とかしなければといった緊迫感や悲壮感は微塵にもなく「今日やれるとこまでぼちぼちやっておこう」といった感じで皆んなのんびりしている。

人間がこんな感じだからか、犬達も猫達も皆んな呑気で、ゴロゴロ寝そべっていたり自由に出掛けては帰ってくる。

危険が無いかどうかはリキが定期的に見回ってもくれているので、皆んな安心して暮らしていた。

山の主達とも、リキやタネ婆さんは時々話していた。

今のところ山に侵入してくる者は居ないし、山で開発が行われそうな様子はなく、ここでの皆の暮らしも自然を壊しては居ない。そんな様子だから、満足して見守ってくれているらしい。

「そういえば・・・これもう切れてるな。充電してないんだから当然だけど、忘れてた」

数人が集まって昼食をとっている時、和人が自分のスマホを見せて言った。

「皆んなそうだよね。私も。忘れてた事に自分でもびっくり」

和人の隣に座っていた茜が言った。

「前はスマホ無いと1日も生きていけないとか思ってたのにな。ここに居ると全然要らないし」

良太もそう言って笑う。

「私はもう長いこと使ってないから無いのが当たり前だったけど。そういえばそんなの持ってたことも前はあったんだよね」

琴音が遠い昔のことのように言うので、さらに笑いが起きた。

和人も、村に居た頃は毎日パソコンとスマホを充電して、それが無いと生きていけないと信じていた。

田舎に暮らしながら、そういう物にどっぷりと依存していたことに今更ながら気がついた。けれどここに来て、家を作ったり野草を取ったり、生活するためのことを色々とやっているうちにスマホの存在など忘れていた。パソコンは車に積んでいたので、木っ端微塵になったに違いない。

「考えたら、こんな山にパソコンとかスマホとか持ってきてもしょうがないんだよな。なんか習慣で持ってこようとしてたけど」 

「私もそれだったから人のこと言えない」

「俺も」

「使用料は、口座が生きてる限り毎月自動的に落ちていくだろうけど・・・なんかもうどうでもいいって気がするな」

「山に入って帰ってこないんだし、俺達そのうち死んだ事になって、戸籍なんかも消えるんじゃないかな」

「だといいよね。追いかけて来られる心配無いし」

「言えてる。さっさと消しといて欲しいね」

スマホの話から始まって、戸籍や運転免許証、身分証明書なんかの話しになり、ひとしきり盛り上がった。

「なんかそういうのが無いと生きていけないってずっと思ってたけど、全然そんな事ないよね」

茜がしみじみとそう言って、皆んな頷いて聞いている。和人もその通りだなと思った。

「人間って色々とめんどくさいねぇ」

集まってきた猫達が、そんな事を言った。

ここでも動物達と人間の間で交わされるのはテレパシーの会話で、活発な会話がいつも展開される。

「そんな道具が無いと暮らせないなんて」

「持ちたくないねぇ。そんな面倒な物は」

「住所が変わるたびにいちいち届けないといけないとか」

「ありえないねぇ」

たしかにそうだよなあと和人は思った。

野生の動物達はとても自由だ。

戸籍とか無いし、特定の住所も無いし、会社とか親戚縁者、地域の中での立場などしがらみも無い。

銀行口座にどれだけお金が残っていたか、今月の生活費がいけるかなど常に心配することも無い。

持っている財産を失う事に怯えなくていい。

それで何も困る事なく、ちゃんと生きている。

ここに移ってきた時、以前ほど豊富に食料があるわけではないから、犬や猫達は大丈夫かなと思ったけど。

彼らは狩もするし、食べられる物を見つけて好きに食べている。

水が飲める場所もいつのまにか知っている。

困らずに生きていける能力が、ちゃんと備わっているらしい。

本来人間も、同じようにそういう能力が備わっているはずだし、自由なはずなのに。

戸籍があり、住所があり、会社でもプライベートでも立場がある。

それによって自分の中の「こうしなければいけない」「こうあるべきだ」が、どんどん増えていく。

そうすることが文化的生活で、他の生き物より人間が優れているという風に子供の頃から教えられてきた。

でも今は、それは全部嘘だったと分かる。

「考えたらすごく不便な暮らしをしているもんだなぁ」と、和人は改めて思った。



9月2日

ここに来て数日が過ぎた。

なんか、曜日とか日付とか気にしなくなって、気がついたら何日か経ってるなあという感じ。

時計ももちろん見なくなった。

1日の流れは、日が昇ったから朝、お腹が空いてきたら昼近く、暗くなってきたら夕方とか、ざっくりそんな感じ。

時計を見て、何時だから何々しなければとは全く思わなくなった。

その日、朝思いついてやりたい事をやる。

動きたくない時は平気でダラダラしている。

それで誰かから何か言われるなんて事もなく、自由を満喫している。

これは俺だけでなく多分ここに居る全員。

村にいる時は、会社にも勤めてないしそれなりに自由だと思ってたけど。

今振り返るとそれでもけっこう「朝だから」「何時だから」とか、頭で考えて「今日はこれをやっておかなければ」というのはあった。

ここに来て以降、今体験しているのは、そういう事すら何もない暮らし。

ほとんど感覚で生きてる感じ。

こういう暮らしがこんなに心地いいとは知らなかった。

電気とかガスとか無いし、充電器ももちろん無いからスマホが使えなくなってそのままだけど「そういえば無くても困ってないね」と皆で話したこともあった。

死んだと思われてるなら、存在が分かるようなものは何にしろ、無い方がいいに決まっている。

俺もそうだし、山に入って行方不明になったと見せている皆んなもそうだし。

全員死んだと思ってもらえたら、作戦成功ということだ。




和人が日記を書き終えた時、村の様子を見に行っていたリキが戻ってきた。

「思った通りだ。村全体が囲われて、工事中になってた」

「邪魔者が居なくなったから早速作業に取り掛かったってとこか」

「隣の村もかなり開発が進んできてるし、前には無かった送電線がさらに増えてる」

「あの辺りの村を全部繋げて、隣の県にもまたがった最新の街を作るって計画か。前に説明会で聞いたやつだな」

「配達なんかもドローンを使ってるみたいだし、街の中も、全部の家も、安全に見守るために最新のAIを使った警備システムを導入するとかたしかそんな話だったな。本音は見守るんじゃなくて監視したいだけだろうけど」

「言えてる。それをやるのに街全体に、ものすごい電磁波が発生すると思うし。とても住める気がしないな」

「生き物が住んでいい場所じゃないと俺も思う。だから猫達も皆んな逃げてきてるわけだし。感覚的にヤバいって分かるからだと思う。隣の村ではもうすでに動物も鳥も虫もほとんど居ないからな」

話していると、向こうから寿江が歩いてきた。

「車持ってこれたよ!遠かったけどね。あ〜疲れた」

寿江は、和人とリキの間に腰をおろし、とても嬉しそうに報告した。

「ほんとに?良かった!」

和人も気になっていた事だったので嬉しかった。

自分の車は無くなったけれど、喜助の車が獣道の入り口に放置したままなのは覚えていて、何とか持ってこれないかとずっと思っていた。

家を作る資材を見つけて運ぶ時も、車があればものすごく助かる。

「私らの存在が忘れられた頃には買い物にも行けるかな。ガソリンスタンドに行くのが先かもだけど。幸い今のところほぼ減ってないし」

「行けるのは来年くらいかな。俺達は皆んな顔を覚えられてるかもしれないから、当分は村の周辺をウロウロしない方がいいと思うし・・・」

「それでも何とかなるでしょ。住居はほぼ出来たし食べ物は何かしらあるし。遠くまで行くためだけじゃなくて、車は倉庫とか部屋としても使えるからね」

「なるほど。その発想はなかったけど、たしかに使えるかも」

「野草天麩羅出来たよ」

タネ婆さんが、周りに居た皆んなに声をかけた。

見れば太陽が真上に上がっている。

一番暑い昼の時間帯になっていた。

ここでは誰でも、何か作りたいと思ったら勝手に作り、大抵多めに作るので、食べたい人は来て勝手に食べる。

大体1日に2~3回は、誰かが何か作っていて、皆んな食べたいタイミングで食べて、それでうまく回っている。

油は今のところ買わないと手に入らないし貴重品だけれど、精一杯我慢して少しずつ使うより食べたい物を食べようというので、皆んなけっこう気にせず使っている。

猫達の中にも野菜を好む者も居て、和人が席を立って歩き出すと4匹がついて来た。

タネ婆さんは猫達の顔を見ると、残った油で魚を揚げ始めた。

猫達のために、一旦冷まして置いておく。

魚の焼ける匂いに反応したのか、他の猫達もゾロゾロとやってきた。

皆んなそれぞれ好きなところに座って食べ始める。

ここに居るのは人間数人と猫達で、他の者は川遊びに行っている。

犬達は皆んな、そっちについて行ったらしい。

今日も暑いので、冷たい水の流れる川は天国だった。

泳いだり、釣りをしたり、足だけ水に浸けてのんびりと座っていたり、楽しみ方は色々だ。

「そういえば今日面白いもの見たんだけど」

タネ婆さんの近くで魚を食べていた三毛猫が言った。

「ちょっと遠くまで行ってみたら、人間の足跡っぽいのがあったよ」

「本当?ついに誰か探しに来たとか・・・」

タネ婆さんを手伝っていた茜が、少し心配そうに言った。

「そういうのじゃないと思う。多分」

「私らの他にも、どっかの村から逃げてきて山に入ってる人間が居るのかもねぇ」

タネ婆さんの言葉に、三毛猫は「そっちだと思う」と答えた。

他にも、その時一緒に居たから足跡を見たと言う猫達が数匹居た。

皆んな考えは同じだった。

開発を進めている彼らが追ってきたとかではなく、同じように山で暮らす誰かが居るのではないかと見ていた。

「それだったら、会えたら情報交換出来るかも」

「明るいうちに行ってみる?」

「食べ終わったらちょっと行ってこよう」

「行くんなら乗せていってやるぜ」

「ありがとう。リキ。助かる」

和人と茜に、リキがついていってくれる事になった。

「気をつけて行っておいで。こっちは夕食作りながらゆっくり待ってるから」

集まった皆んなでゆっくり昼食を楽しんだあと、出かける二人をタネ婆さんが見送った。

人間の足跡らしき物を見つけた数匹の猫の中から、案内には雌の黒猫が来てくれることになった。体のサイズは少し小さめで、全身真っ黒な毛並みがツヤツヤと光っている美しい猫。

リキが馬ぐらいの大きさになって皆んなを乗せてくれた。

黒猫が一番前で、茜が真ん中で、後ろに和人が乗った。

「目的地までは飛ばすから、しっかりつかまってろよ」 

「了解」

揃って答えると、リキは風のように疾走し始めた。

道案内の黒猫とリキとのテレパシーのやり取りは、和人と茜も断片的に分かるけれど全部は受け取れなかった。とにかく速い。

走るスピードも速いので景色を楽しむような余裕はないけれど、風を切って木立の間を縫うように走る爽快感は最高だった。

やがて、リキは速度を落としてゆっくり走り始めた。

目的地が近いらしい。

「たしかこの辺りだったと思う。そう。そっちの方」

黒猫が伝えてくれている。

和人と茜も、地面の方に目を向けて足跡を探す。

少し進むと、丈の高い草が掻き分けられたような場所があり、地面にも人が通ったらしき痕跡が見つかった。

「あった。多分これだな」

リキは歩く速度にスピードを落として、人が通った痕跡のある場所を奥へと進んで行った。

たしかに、何度も人が通ったように道が出来ている。

普段からここが通り道になっているのか、地面が踏み固められているような感じだった。

「もし誰かいたとして、相手が友好的とは限らないよね」

黒猫が言う。

「たしかにそれは言えるな。この辺りに誰か住んでたとして、他の人間には関わりたくないと思ってるかもしれないし、敵対する感じじゃなくても怖がってることもあり得るし」

和人は黒猫に同意してそう言った。

「そうよね。慎重に行かないとね」

茜もそう言って、リキはゆっくり目に進んでくれた。

「そろそろ降りて歩いた方がいいかも。誰かいるとしたらこの辺で会うかもしれないし」

黒猫が言うので、その通りだなと思って二人とも降りた。

黒猫も、二人の後から身軽に飛び降りた。

「乗せてくれてありがとう。リキ」

リキは、スーッと小さくなって普通サイズの猫になった。

普通サイズと言っても黒猫と比べると倍ぐらいの大きさで、どっしりした存在感だ。

「そうだよね。その大きさ方がいいかも。大きいと怖いもんね」

「人が居るとして、その人達からリキの姿が見えるかどうかわからないけど。見えた場合さっきのサイズだと威圧感あるよな」

自分はもう見慣れたから何とも思わないけど、形は猫でサイズだけ大きいわけだから、初めて見たら怖いかもと和人は思った。

二人と二匹が歩いていくと、たしかにこの先に、人が住んでいるような気配があった。

「誰か居るよね」

茜が言った。

「うん。居ると思う。すごく近いかも」

和人がそう言って、そのまま数メートル進んだ時、目の前に木刀を持った少年が立ち塞がった。

丈の高い草の陰に隠れてこちらの様子を伺っていたのか。

道理で気配が近かったはずだと和人は思った。

少年は、十代半ばぐらいの年齢に見える。

背が高い方ではないけれど、日焼けした体は筋肉質で逞しい。

急にやってきた和人と茜を見て、油断無く身構えている様子だ。

(この辺りに住んでいて、入って来た俺達を侵入者と見たのかな。そう思われても無理は無い)

和人はそう思って、何と説明しようか考えているうちに、先に茜が話し始めた。

「急に来て脅かしてしまってごめんなさい。人が通ったような跡があったから、この辺りに誰か居るのかと思って来たんだけど。私達は戦いに来たわけじゃなくて・・・」

言い終わらないうちに、少年の後方からバタバタと足音がして、数人が走って来た。

「どうしたんだ!」

「誰か来たのか!」

叫んでいる男性の声が聞こえた。

最初に来たのは、和人より少し年上位かと思われる若い男だった。

背は高く無いが逞しい体つきが、少年と似ている。

そういえば顔も似ているようで、親子かと思われる。

その後ろから、年配の男が走って来た。

見たところ六十歳前後の感じで、髪は半分白くなっているけれどまだ若々しさが残っていて、十分に体力があり元気そうに見える。

この男性も何となく、先に来た二人と雰囲気が似ているので、全員家族なのかもしれないと和人は思った。

さらに後から、年配の女性と若い女性、それに子供達が来た。

子供達は三人居て、最初の少年よりも皆んな幼い。

和人と茜は、この人達に取り囲まれるような形になった。

皆んな無言で見つめてくる。

少年と同じく、男性二人は木刀を持っている。

年配の女性は鎌を持っていて、草刈りでもしていたからそのまま持ってきただけかもしれないが何となく不穏な感じがする。

それでも、すぐに襲いかかってくる様子は無いのが伝わってきて、和人はとりあえず少し安心した。

「急に来てすみません。驚かせてしまって」

さっきの茜に続いて、和人もまずは謝罪した。

「俺達は、ここよりもさらに山奥に住んでいます。住み始めてまだ日が浅いのですが。これからも住み続けるつもりですし、近くに誰か同じような感じで暮らしている人が、もし居たら心強いなと・・・」

「敵では無さそうだな」

年配の男性が言った。

「父さん。すぐ人を信用しない方がいい」

若い男はそう言って、まだ二人を睨んでいる。

(やっぱり親子だったのか。多分ここに居る全員家族なんだろうな)

疑われても仕方ないと、和人は思った。

(開発を進めている連中が、スパイを送ってこないとも限らない。人を滅多に信用しない事は、自分と家族を守るために必要なのかもしれない)

「よろしかったら、私達の住んでいる場所を見ていただけませんか?山に住んでいるというのが嘘でない事を、わかっていただけるかと思います」

茜がそう言うと、何やら皆で話し合い始めた。

「もう!めんどくさいねぇ。人間って」

三毛猫が、スッと前に出て、ズンズン歩いて進んで行った。

二人を取り囲んでいた家族達も、猫が来たぐらいなので警戒はしていないらしい。

これが、大型犬とかだったら脅威だったかもしれないけど。

猫は、行手に立ち塞がっている人々の足元をスルリと抜けていった。

すると、向こうから猫が数匹寄ってきた。

その後ろから、犬が二匹歩いてきて、山羊や鶏も来た。

動物達の会話は、こっちにも伝わってくる。

三毛猫が、こちら側の事情を動物達に説明してくれているらしい。

「俺達が危ない人間じゃないって話してくれてるみたいだな」

「私達が頼りないもんだから、猫さんが頑張ってくれたみたいだね」

「良かったな。大丈夫そうだ」

リキが、二人の足元に来て言った。

ここの家族からは、リキの姿は見えていなかったのかもしれない。

リキが気配を消しているのもあり、昼間なので余計に見えにくいのか。

仮に見えていたところで、三毛猫の時と同じく猫に関しては全然警戒していないから、気にしてないのかもしれない。

動物達が続々と集まってくるものだから、やっと皆んな三毛猫の存在に気がつき始めたという感じだった。

「この人達は敵じゃないよ。大丈夫」

後から来た子供達のうちの一人、十歳くらいの女の子が言った。

クルクルとよく動く丸い目が可愛らしい。

「何で分かるの?」

この子の母親らしい若い女性が聞いた。

「三毛猫さんがね、みんなに教えてくれたの。人間の言葉とは違うから、嘘は吐けないよ。この人達は十八人で、動物達は三十六匹居るんだって。開発が進んでいく村から逃れて、山に住んでる。この人は山の主とも話してるし、猫又さんもいるんだよ」

(この女の子は、俺達と同じく動物達とテレパシーの会話が出来るらしい。良かった。それなら話は早そうだ)

「伝えてくれてありがとう」

和人と茜は、揃って感謝を伝えた。

動物と会話が出来る女の子のおかげで、険悪な雰囲気からは脱することが出来た。

スパイでもないし怪しい人間では無いと、やっと分かってもらえたらしい。 

彼らは、すぐ近くにある自分達の家に和人と茜を招いた。

最初に見たメンバーで全員かと思ったらそうではなく、もう一組年配の夫婦が家に居た。

その人達は若夫婦の奥さんの方の親で、最初に出てきたのは夫の方の親だった。

ここに住んでいるのは若夫婦と、それぞれの両親、若夫婦の四人の子供で十人の大家族だった。

和人達の前に最初に現れた少年が長男で14歳、動物と話して和人達を助けてくれた女の子は11歳で長女だった。

その下に8歳の妹と6歳の弟が居る。

子供が沢山居ても、両方の親も居るから子育ての苦労はそれほど無いと、子供達の母親は笑って言った。

近隣の村で少しずつ開発が進み始め、その頃から移住を計画していて、家族全員で実行に踏み切ったのが数年前。その頃、末の男の子はまだ赤ちゃんだったと言う。

色んな場所を見てまわり、使われていない土地や古民家を探したと言う。

和人達とは少し違って、開発を阻止しようとは思わず、最初から移住の方向で考えていたと話した。

「俺達は最初、開発をやめさせられないかって考えたんですけどね。結局無理だったし、移住の方が賢いですよね」 

今思うと苦笑いだなと和人は思った。

「もっと多人数で山へ移住して、見つかって潰されたグループもありましたからねぇ。今でも安心ってわけじゃないんですよ」

もう一人の年配の女性の方が、菓子を持ってきてくれた時そう言った。

開発を進めたい側は、今住んでいる人間が退いてくれればいいというだけでなく、勝手にどこかに移住して好きに暮らす事がどうも気に入らないらしい。

完全に管理された新しい街を作り、全てそこのやり方に従う人達を住まわせ、そうでない人間が存在する事は良しとしない。

和人も茜も、刺客が送られてくる体験をしていたので、どういう事なのかよくわかった。

家族だけなら工作員が紛れ込む心配も無いし、いいのかもしれないなとも思った。自分達も、まだ人数が少ない方だから今のところ何とかなっている。

彼らの家は、築百年以上の古い建物を自分達で直した物だった。

玄関を入るとすぐ土間があって、漬け物の樽らしい物がいくつも並んでいる。

料理は全てここでやって、食べる場所は一段高くなっている畳の間ということだった。

ここには、昭和の時代を思わせるような木製の食器棚や扇風機、ちゃぶ台が置いてある。

テレビや炊飯器、電子レンジ、掃除機といった電化製品は見当たらず、昔ながらの生活を送っているらしい事が見てとれた。

冬には、薪ストーブや火鉢を使うと言う。

暑い季節の今も、エアコンは無く扇風機だけで、それでも都会の夏と比べると全然違う涼しさだった。

車も通らないし周りに家も無いため、室外機からの熱風が来ることもなく快適らしい。

それは和人と茜も、山で暮らしてみて感じた事だった。

「素敵な場所ですね」

茜は心からそう言った。

正直な気持ちは伝わるらしい。

家族みんなが笑顔になった。

「若い人にもそう言ってもらえると嬉しいねぇ」

お茶を出してくれた年配の女性は、本当に嬉しそうだ。

「俺も村に居た時は、代々ずっと同じ家に住んでたので。なんか感じが似てて、すごく落ち着きます」

和人も、ここに来て感じたことをそのまま言った。

「最初はほんとにボロボロだったけどな」

子供達の中で一番年上の少年は、そう言って笑う。

皆んなで少しずつ直して、やっと住めるようになったらしい。

それでもあちこち壊れるから、今も直してばかりだと言う。

それでも、それが辛いというわけでなく、家族全員がここでの暮らしを楽しんでいるように見えた。

和人と茜が話す事を、この家族はちゃんと向き合って聞いてくれた。

そして、自分達の事も話してくれた。 

動物と話せる女の子が言ったのは全てその通りで、自分達は十八人の人間と、三十六匹の動物、それに猫又のリキも一緒に居るという事を、和人は最初に話した。

和人が動物達の話をすると、皆楽しそうに聴いてくれた。

ここにも沢山の動物達が居て、同じように自由にのんびりと暮らしている。

ねこまたのリキの事を話すと、子供達はさらに興味津々の様子だった。

リキは気配を消していたところからエネルギーの状態を変えて、みんなの前に姿を現した。

二股に分かれてユラユラと揺れる尻尾。淡く光る体。

子供達は目を輝かせてリキを見た。

居住区近くに入ってきた二人に対して、最初は木刀を持って来たりしたけれど、この家族は元々戦いが好きな人達というわけではなかった。

最初はただ警戒していただけだったらしい。

自分も、二度も消されそうになったぐらいだから、和人にはその気持ちも分かった。

やたらと人を信用してはいけないというのも、それくらいでちょうどいいと思う。

そういえば開発を進めている連中が、ハニートラップのような作戦を仕掛けてきたこともあったと、和人は思い出した。

どんな手で来るか分かったもんじゃないと思う。

「俺達が一番山奥に住んでると思ってたけど、もっと奥に人が居たんだな」

長男の少年が、感心したようにそう言う。

「俺は逆に、もっと街に近くても、開発が進んだ地域と関わらず生きてる人が居るのが凄いって思ったよ」 

和人が答えて言った。

「ここよりももっと街に近い所でも、似たような暮らししてる人達は居るよ。しかもずっと人数が多い。俺達は家族だけで暮らしてるけど、そこは多分百人くらい居る。俺達もたまにそこに行って要る物を手に入れたりしてるし」

「そうなんだ。そういうの聞くとなんか元気出てくるね」

隣で聞いていた茜が言った。

「村を去る時はけっこう切羽詰まった気持ちで、何とか見つからないように山に逃げて自分達だけで暮らそうと思ってたけど。他にも人が沢山居ると思うと心強いよ」

「そこ以外にもいくつか集落を知ってるし、俺達が知らない所でもっと他にもあるかもしれない。開発が始まった頃、同じことを考える奴はけっこう沢山居たってことだよな」

少年は、和人達より色々知っているようだった。

「全体で見れば開発を喜ぶ人の方が多いのかもしれないけど、そういう暮らしが苦手な人だって一定数いるよね」

「新しい街は完全管理されてて安全って思う人にはいいんだろうけど、俺は絶対無理。一度ああいう街での生活に組み込まれたら、後から逃げるのって多分めちゃくちゃ大変だから。最初から逃げる方が楽だと思う」

まだ十代前半ながら、長男だがらしっかりしているのか、少年は色々考えているらしかった。和人も茜も、これを聞いてなるほど分かると思った。

和人達が、今度は自分達の家に招待したいと話すと、子供達が真っ先に「行きたい!」と言った。

四人とも行きたいと言って譲らないので、誰かを置いていくわけにもいかなそうな雰囲気になってきた。

けれど、今まで大丈夫だったとはいえ、この場所がこれからも何も無く絶対安全とは言い切れない。

それを思うと、警戒を怠ることもできない。

結局、ここに人が居なくなるのは防犯上よろしくないということで、大人達は皆んな留守番ということになった。

ここで話している中で、家族みんなが安心してくれたらしいのが、和人も茜も嬉しかった。

子供達だけで行かせてもいいと言ってくれたわけだから。その信頼が嬉しい。

リキは、普通の猫のサイズからあっという間に大きくなった。

馬よりも大きいかと思えるサイズになっている。

四人の子供達が歓声を上げた。

「乗せてもらっていい?」

子供達は、口々にリキに頼んだ。

「いいよ。小さい子から順番に」

大人達が手伝って、末っ子が一番前で、案内の黒猫を抱いて乗った。

その後ろに子供達三人、茜、和人が一番後ろに乗ると、リキはゆっくり走り始めた。

「なんか来た時より体長くなってない?」

茜が、走っているリキに聞いた。

「長くも短くもなるよ妖怪だから。形は好きに変えられる」

「すごいね!!」

子供達は大喜びだ。

リキは、少しずつスピードを上げていった。

「飛ばすから、しっかり掴まってろよ」

獣道に入り、木々の間を縫うように、リキは疾走した。

自然に皆んな頭を低くして、リキの体に自分の体を添わすように、うまくしがみついている。

子供達にはたまらなく楽しい体験のようで、スピード上がっても怖がる子は居ない。四人とも、ずっと笑顔だった。

和人も茜も、風を切る気持ち良さを感じながら、今日出かけてきて本当に良かったと思った。

9月3日

昨日は、かわいいお客さん達が四人、ここに遊びに来ていた。

ちょうど善次さんとキクさんが、今ある材料を使って和菓子を作ってくれていたところだった。

ヨモギの入った生地を使った、粒あん入りのお餅。

甘い物は大好きという子供達は大喜びだった。

一番年上の男の子は、良太君や琴音ちゃんと年が近いから気が合ったらしい。草餅を食べた後は、さっそく子供達だけで川へ遊びに行っていた。

楽しそうなところには、犬達も猫達もゾロゾロついて行くし、賑やかな団体が川で遊んでいた。

ここの川は流れもそんなに速くないし、深さも無いから危険は少ない。

それでも一応は誰か見ていた方がいいということで、タネ婆さんとリキが行ってくれた。

もし何かあってもリキが居たら安心だから。

なんかすごく頼ってしまってるなあと最近思うけど。

あの家族と出会えたのも、乗せていってくれたリキのおかげだし、猫又のパワーにいつも助けられている。

あの家族が住んでいる場所は、ここからまともに歩いたら数時間はかかると思う。

猫達の行動範囲の広さにも驚く。

犬達もけっこう遠くまで行っているようだし、どうも彼らの方が人間の俺達より行動的なのかもしれない。

動物達同士の間でも、他所との交流はあるらしい。

今まで居た村に住めなくなれば、どこに行けば安全かという情報を交換して、移動したりするし。

犬や猫達だけでなく、それは他の動物達も同じらしい。

俺達は今まで、同じ村出身の仲間以外との交流がほとんどなかった。

(茜さんは村の人では無いけど、タネ婆さんの身内だし)

ここへ来て以来、他人との交流は、あの家族が初めてだった。

ここへ来て以来というか、村に居る時からそういえば、他所との交流はほとんど無かったかも。

だから、ある日突然消えたようにどこかへ行っても、詮索されにくくてよかったのかもしれないけど。

昨日家に招かれた時聞いたところによると、あの家族は、二年位前から移住を決めて、周りの誰にも言わずに計画を進めてきたという事だった。

開発に大賛成の人も居ると思うし・・・というかそっちの方が多いと思うし。知られて足を引っ張られるのは避けたいという気持ちは分かる。

俺はその点運が良かったのかもしれない。

家族でなくても信頼できる人が、これだけの人数居たわけだから。

あの家族も、パソコンやスマホの類は村を出る前に一旦全て解約し、今は家族で一台だけ新しいのを持ったけれど出来るだけ使わないようにしているという事だった。

今の世の中では、個人情報なんてどこから漏れるか分かったものではない。

電話番号やメルアドなど、どこにも公表していないのに。教えた覚えのない所から、セールスの電話やメールがジャンジャン来るところを見ると本当に危ない。

登録した個人情報が漏れているとしか思えない。

完全監視管理体制が敷かれた地域から逃げようと思えば、アナログな通信手段しか使わないのが一番間違い無いのかな。

テレパシーの会話が出来るようになってからは、そういう物すらあまり要らないとも思うけど。

パソコンやスマホを触らなくなってから更に、感覚も鋭くなったように思う。

素晴らしい自然環境の中にいるし、電磁波に晒されていないのがいいのかもしれない。

同じような感じで山で暮らしているグループとか、一人で山に入って暮らしている人とか、あの家族が知っているだけでもけっこう居るらしい。

「全て知っているわけじゃないし、ほんの一部と思う」とも言っていたし、たしかにそうだろうなと思う。

今まで誰にも見られずに、密かに山で暮らしてる人なんかも居そうだし。

俺達が山に移住したのは最近だから、もっと前から居て山暮らしに年季入ってる人沢山居るかも。

子供達は、夜遅くなる前にはリキが送っていってくれて帰ったけど、また来ると言っていた。今度は泊まりで来たいらしい。

ここが気に入ってくれたみたいで、ここの皆んなも喜んでたし俺も嬉しかった。

俺達に対しても「またいつでも来て」と言ってくれた。

ここより街に近い場所でも暮らしている人達が居て、人数も多いらしい。

あの家族はそこへも時々行くと言っていた。

街に近い場所と言っても山深い場所には違いなく、知り合い以外滅多に見かけないのは同じらしい。

そこへ行く時もまた、案内してあげるから一緒に行こうと言ってくれた。

関西圏になるらしいんだけど。どんなところなのか、今からすごく楽しみだ。

今の日本では、新しい通信システムと新しい街の形態が最良のものとされていて、今まで静かだった村でも開発が次々と進んでいる。

けれど、まだまだ自然豊かな環境、手付かずの森林は残っている。

縦に長い日本列島で、そういう場所にどんどん、山で暮らしたい人が移住しているのかもしれない。

けっこう多くの人が、昔ながらの生活を営んでいる様子があるらしい。

開発側以上にそっちの方も広がっているのではないかと、昨日あの家に行った時皆が話していた。

人数が多くなってきて見つかりやすくなったら排除されるのか、それとも、逆にこっちの方が多くなれば、排除出来る範囲を超えてくるのか。

俺達はかなり山奥の方に居るし、誰の土地か分からないような放置された場所に勝手に住んでるけど。

あの家族も、聞くところによると違う場所に居る他の人達も、合法的に家を買ったり借りたりして住んでいるらしい。

借りている場合はともかく、買ったなら追い払われる事は・・・そうか。無いとは言えないな。

俺も、先祖代々あの家に住んでて、まさか排除されかけるとは思わなかった。

俺の家と同じく長年住んでるタネ婆さんの家も。

あの火災は何度思い出しても、自然発生したとは思えない。

9月8日

昨日、百人ぐらいが暮らしている村に行ってきた。

最近交流を始めた大家族の子供達が、約束通り案内してくれた。

行ったのは、俺と茜さん、喜助さんと寿江さん、良太君と琴音ちゃんで六人。

途中までリキが乗せてくれて、人目につきそうな場所からは歩いた。

それほど遠いとは感じなかった。

途中から普通の猫サイズになったリキは、トコトコと前を歩いて好奇心いっぱいの様子だった。

村に着いてからは二人ずつの別行動で、後で自分の行った所を教え合おうということになった。

あの場所には、本当にいろんな店があった。山深い場所なのに、けっこう人が居る事に驚いた。

道端で村人同士が親しく会話していたり挨拶を交わしているのを見ると、顔見知りばかりなのかなと思う。

着いたのが昼前くらいだったから飲食店を探して歩いていると、珈琲とランチを出しているカフェがあった。

俺と茜さんは、まずそこへ行った。

「動物OK」の表記もあったので、普通の猫サイズになったリキも一緒に入る。

丸々と太った猫が店の入り口で体を伸ばして寝ているので、ここの子かなと思ったら通い猫とのこと。

猫が居るのが入り口のど真ん中なので、どうやって入ろうかと思ってると「通っていいよ」と猫から伝わってきた。

なので、猫の体をまたいで入る。

入り口にも店の中にも、観葉植物や季節の花の鉢植えが沢山あって、どっしりした木製のテーブルや椅子があって、手書きのメニューがある。

とてもあたたかい雰囲気の店で、年配の女性店主は、この店の雰囲気にぴったりの人だった。

俺達が入ったのと入れ違いに、多分モーニングのメニューを食べ終わった人達が出ていくところだったけど、驚いた事にお金ではなく野菜で支払っていた。

聞いてみると、お金でもいけるけど物でもいいらしい。

久しぶりに、いつもと違う食べ物を食べた感じ。

すごく新鮮で美味しかった。

陶芸をやっていて作品を売っている店があったり、服を売っている店、野菜や果物の店、民宿もあった。

全部が個人店で、個性的な店構え、内装、こだわりの品を見て回るのは本当に楽しかった。

食器や文房具など、持って帰って使えそうな気に入った物をいくつか買った。

子供達に勉強を教えているらしい教室のようなのもあった。

飲食物持ち込みで外で授業をやってたりして、すごくオープンで、普通の学校とは全然違う感じだった。

俺が以前居た村も、開発の話が来るまでは平和だったけど、ここはそれよりももっと自由な感じがする。

民宿もあるようだし、今度は泊まりで来てみたいと思う。

民宿の前を通ると、遅めの昼食時らしく、多分スタッフと思われる人達が外で食事中だった。

いかつくて逞しい感じの老人(この人がオーナーかな)、あとは若い男女が数人。巨大な白い犬。

食べ物を求めて狸の家族がゾロゾロとやって来ていた。

良太君と琴音ちゃんは、ここの子供達と仲良くなって、洞窟を利用して作った「秘密基地」なるものを見せてもらったらしい。

喜助さんと寿江さんは夕方早めの時間から飲んでいたようで、血色が良くなって上機嫌だった。年配の夫婦が経営する、昔ながらのスナックのような店があるらしい。俺も今度行きたいなと思う。



和人は朝の珈琲を飲みながら、書いていた日記帳を閉じた。

リキが近くに来ていた。

「昨日はありがとう。リキ」

「あそこも楽しい村だったな」

「面白い店がいっぱいあったし、また行きたいな。あんなに沢山人が居るなんて驚いたよ。見つからずによく頑張ってるよな」

茜とタネ婆さんが外で話しているのが見えたので、和人とリキは外へ出た。

「上から見てるようだね」

タネ婆さんが、空を見上げて言う。

和人も空を見てみると、ヘリコプターが飛んでいるのが見えた。

さっきから二人が話していたのはこの事らしい。

そういえば最近、ヘリコプターを見かけることが多くなったとは感じていた。

「ムジナ達が頑張ってくれてるし、普通に山道からここに入るのはほとんど不可能なはずなんだけど・・・上からだと見つかる可能性が無いとは言えないな」

リキがそう言った。

「まだ見つけようとしてるとしたら、ほんとしつこいよね」

茜が、うんざりしたように言う。

「今のところ俺達は、パッと見て家らしい物はほとんど作ってないから。上から見られたところで多分大丈夫だと思うよ。たしかに絶対とは言えないけど」

和人は、そうあってほしいという願いを込めて言った。

「ここよりもむしろ、昨日行った村の方が危ないんじゃない?上から見られてるとすると、あそこまでいくとどうしても目立つし・・・大丈夫だといいんだけど」

茜が、昨日行った場所を思い出しながら言った。

村の規模が大きいほど、人数が多いほど目立ちやすい。

「どっちに転ぶかだね。少ない方が目立たないが、少ない人数なら排除しやすいとも思われる。人数が多いと見つかりやすくはあるが、排除するとなると大量虐殺だからね。明るみに出たらまずいと思うよ。いくらあいつらでも」

タネ婆さんが言って、和人も茜もなるほどと納得した。

「たしかにそういう意味で言えば、あの村には簡単に手出しは出来ないよな。それに、あの村以外にも同じような所が沢山あるとしたら・・・潰されずに乗り切れるかもしれないな」

リキがそう言って、皆んな表情が穏やかになってきた。

急に強い風が吹いて、辺りが暗くなった。

さっきまで晴れてたのに、にわか雨でも来るのかなと和人は思った。

「しばらくぶりに来たんだねぇ。山の主」

「そうみたいだな」

タネ婆さんとリキは、何が起きたのかすぐに分かっていた。

巨大な黒い鳥が、大きく翼を広げてこっちへ向かってきていた。

恐ろしく巨大な黒い鳥、山の主が、三人の前に降り立った。

三体の山の主の中の一体、黒い怪鳥だった。

この山には他にあと二体、沼に住む巨大魚と、巨大な白狼が居る。

怪鳥が近づいて来ただけで風圧が凄くて、小柄な茜は吹き飛ばされそうになり、和人の腕につかまった。

見上げると、山の主の漆黒の体の中で二つの目だけが、血のように赤く光っている。

その下には大きく鋭い嘴。

さらに下の方を見ると、太い木の幹の様に頑丈な二本の足。

そこには鋭い爪が生えている。

三人は山の主と初対面ではないので今更驚きはしないが、この姿は何度見てもけっこう怖い。

けれど三人に対して敵意は無いというのが、山の主から伝わってきた。

「それなりに頑張っているようだな」

黒い怪鳥は、三人に向かって言った。

この山に棲む三体の山の主は、普段からずっと、ここで暮らす人々の様子を見ている。

人々や動物達とテレパシーで話すこともあり、特にリキとタネ婆さんは、山の主達とよく話していた。

「村を守るのは無理だったけどね」

タネ婆さんが言った。

「奴らが山に来なければそれでいい」

山の主達としては、この場所が荒らされなければいいらしい。

それで約束は守られているという認識だった。

「ムジナ達が入り口で頑張ってくれてるしね」

和人が言った。

入ろうとする者を化かして迷わせるムジナ達のおかげで、山道から奥へ入れた者は居なかった。 

「今度は空から見つけて入って来ようって魂胆かもしれないけどね。最近のヘリコプターの多さは異常だよ」

タネ婆さんは、少し前からこの事を気にしていた。

「奴らが上から見てようが、放っておいても案外大丈夫かもしれないぞ」

山の主が、あっさりとそう言ったので三人には意外だった。

上空をうろついているヘリコプターの存在は、山の主にとっても鬱陶しい物に違いないと思っていたから。

和人も茜もタネ婆さんも、どうリアクションしていいのか分からないといった様子で顔を見合わせた。

リキでも分からないらしい。

山の主は、何を根拠に大丈夫と言うのか。

「面白いものを見せてやろう」

山の主はそう言った。

「背中に乗っていいんだって。まずこっちに乗ってくれたら、一緒に上がれるよ」

リキは、言いながら体を大きくして、馬ぐらいの大きさになった。

すぐに山の主の意図が分かったらしい。

「乗っていいって、山の主が?」

和人が聞いた。

「そうだよ」

三人がリキの背中に乗ると、リキは山の主の翼の上に飛び乗った。

そのまま背中まで一気に駆け上がる。

上がった後、リキはスーッと元の大きさに戻り、三人は山の主の背中の上に降りた。

リキが一番前に乗り、三人は横に並んで乗った。

皆んなが乗ったのを確認した山の主は、再び大きく翼を広げ、空へと舞い上がった。

和人が下を見ると、あっという間に山が遠ざかっていく。

山の主の体が大きい事と、静かに飛んでくれていてほとんど揺れない事で、怖いという感覚は全く無かった。

茜もタネ婆さんも、遥か下の方に見える山々を見下ろしている。

「こうして見ると、上から見てそんなに目立たないねぇ」

「これだったらなんか大丈夫そう。見つかって目をつけられるとか、こっちに来られるとか無いんじゃない?」

二人が話すのを聞いて、和人もその通りだなと思った。

できる限り自然を壊さずに、洞窟などを利用して住居を作っているし、普通の家のような建物らしき物も無い。

上から見てこれだったら、ヘリコプターで監視されていても大丈夫な気がした。

山の主が、ヘリコプターが来ても放っておいて大丈夫と言ったのはこの事だったのか・・・・

和人がそう思った時、山の主から返事が伝わってきた。

「本番はこれからだ。山の近くを飛ぶから、他の場所も見ると面白いものが見られる」

さらにもう少し高度が上がって、地上が遠くなった。

それでもあまり揺れないし、今日は天気がいい事もあって、上空を飛んでいる時の気分は最高だった。

山の主は、三人と一匹を乗せたまま、連なる山々の上空をゆっくりと進んでいった。

「あの辺りってもしかして・・・」

「そうよね。この前私たちが行った村じゃない?」

和人と茜が見つけたのは、自分達が行って見てきた村だった。

上空から見ると、色とりどりの屋根が見えて、広場のような場所も見えた。

この場所は、個人経営の小規模な店、自宅兼店舗の人が多い。

ここに行った時にたしか、そう聞いた事を二人は思い出した。

画一化されていない個性豊かな外観の建物が目立っている。

屋根の色だけでも色とりどりで個性的なので、上から見ても目を楽しませてくれる。

「だけどめちゃくちゃ目立ってるよね。大丈夫なのかな」

茜が言った。

あれではヘリコプターから見ても丸見えで、すぐに目をつけられそうだと和人も思った。

そう思っているうちに百人の村の上を通り過ぎ、もう少し進むとすぐにまた違う村らしきものが見えた。

懐かしい茅葺き屋根の家も見える。

さっき見た村のような色とりどりの派手さは無くて、昔ながらの形の家が多いらしい。

瓦屋根の家も多く、高い建物は一切無い。

高くても二階までの感じだった。

庭があって季節の花が植えられていたり、野菜の畑も果物の木もある。

広場のような場所もあって人が集まっているのも見えた。

そこを見ただけでもけっこうな人数が居る感じで、自分達が今住んでいる場所よりもずっと規模が大きい村に見える。

家の数も、数十軒はあるようだ。

「私達が知らなかっただけで、けっこう山の中に人が住んでるんだ」

茜が、感心したように言った。

「そうみたいだな。百人近い規模の村だって、山の中にいくつもあるのかも」

和人がそう言ったそばから、次の集落が見えた。

ここもさっきの村と同じくらい、数十軒の家が、近い範囲の中でポツポツと離れて立っている。

畑や田んぼも見え、果物の木も植えられていた。

農作業をしている人の姿も見える。

広場では、子供達が遊んでいて、犬や猫、牛、ヤギ、鶏などの動物もたくさん居るのが見えた。

そこを通り過ぎ、さらに先へ。

どこまで行っても、山深い場所に沢山の集落が存在していた。

大きいもので、おそらく百人くらいの規模。

その半分くらいの規模のところも、けっこう見られた。

その他にも、テントや小屋、車が一つだけポツンとあって、その前で火を焚いて料理をしているらしき人の姿が見えるという事もあった。

テントの近くで、犬が二匹遊んでいるのも見える。

一人だけで暮らす人、動物と暮らす人も居るらしい。

最近会った大家族のように、数人の家族だけで暮らす人達も居る。

「近い範囲は俺も見に行ったけど、ここまでは知らなかった。思った以上に人が居るんだな」

一番前の位置で、一つ一つ見届けたリキがそういった。

「どこにでも村はあるもんだねぇ。これだけあるってことは、全部ぶっ潰すわけにはいかないだろうよ」

タネ婆さんが言う。

「面白いものがあるってこの事だったんだな。ありがとう。見せてくれて」

和人も他の皆んなも、山の主に感謝を伝えた。

「俺はずっと、目立たなければ見つからないだろうって発想だったけど。逆だったんだな。これだけ人が多かったら、ヘリコプターで上から見て多いのが分かったら、全滅させるわけにはいかなくなるって事か」

「その通りだ。派手に攻撃すれば、山の自然も大きく破壊される。奴らも、そこまで自然を壊せばどういう事になるかは知っている。自分達が住めなくなる事は避けたいはずだ。山奥に住む人間だけを排除するにも、あまりに数が多いと逆襲される可能性もある。それも奴らにとって怖い事だと思う。奴らの人数は少ないからな。それに、仮に山に住む人間を攻撃して絶滅させようと試みたとしても・・・隠れて逃げ切る生き残りが一人でも居れば、どんな形で後々報復されるかも分からない。その他にも、あまり派手な戦いをやれば、今おとなしく開発地に住んでいる村人達に何か気付かれる可能性も出て来る」

山の主からの答えが伝わってきた。

聞いている和人達にとって、一つ一つ、納得できる内容だった。

確かに、開発地から離れて山奥に住もうとする人間だけを密かに始末したいと思っても、人数がここまで多くなればそう簡単にはいかないはず。

全ての人間を完全管理し監視下に置きたい彼らの、本当のトップはごく少人数だから。

彼らにとって人数が多い相手は、それだけで脅威となるはず。

しかも、開発地に住んでいる従順な人達と違って、彼らの作った場所とは違う世界で勝手に生きようとする扱いにくい人間達だ。

三人と一匹は、眼下に広がる風景を見ながら、そんな事を話し合った。

山奥に点在する集落は、その後も数多く見られた。

日本列島の端から端までで、おそらく数十万人が、開発地から離れて山奥に暮らしているらしい。

三人と一匹は、山の主のおかげで上空からそれを確認する事が出来た。

山の主は、大きくゆっくりと旋回して方向を変えると、元の場所へと帰って行った。

帰りには、今まで見た山深い場所とは違う所を飛んだので、今度は開発が進んでいる村の様子を見る事が出来た。

どこを見ても同じ形の家が密集して立ち並び、山の麓にも田んぼの中にも、見た事も無い形の大きな鉄塔が立っている。

人々が暮らすエリアに、送電線が隈なく張り巡らされている様子だった。

電信柱も増えていて、そこに取り付けられている機器の数も多い。

最新の通信システムによって街全体を管理し「これによってここに暮らす人々が便利に安全に生きられる」と言われている物だ。

和人は、説明会の時に聞いた内容を思い出した。

それを聞いた時も、とてもじゃないが自分は住みたくないと思ったものだ。

今、作られた街の様子を上空から見て、やっぱりあの時思ったことは間違っていなかっにと確信した。

こういう街が好きな人も居るから成り立っているのだろうが、あそこに住まない自由は手放したくないと心底思った。

9月15日

山の主が初めて、上空から山の様子を見せてくれた時。

あのインパクトは凄かった。

どれだけ多くの人達が、作られた街を離れて自由に暮らしているか知ることが出来たし。

山の主は、ここに住む俺達以外のメンバーも、順番に空の散策に連れて行ってくれた。

昨日は、白狼の山の主が現れて、夜の時間帯に山の中の散策に連れ出してくれた。

昼間だと目立ちすぎるから、怖がられても面倒だという事で夜だった。

空から見るのも素晴らしかったし、地上から見るとまた違った意味で素晴らしかった。

ポツポツと見える家の明かり。

テントの前の焚き火。

それらを見ていると、心が温かくなり、安心感があってとても癒される。

人々が生活している証だから。

その人々から伝わってくるエネルギー。

空から見るよりもさらにそれを近くで感じた。

少し前に知り合った大家族とか、そこからの繋がりで訪れた百人くらいの人達が暮らす村とか。

行ったり来たり連絡を取ったり、実際に交流が続いている人達も居る。

そうやって知っている人達以外にも、これほど沢山人が居るという事だ。

この事で、皆んなの中に広がった安心感は大きかった。

最初は、自分達18人と36匹以外、山に移り住んだ者は居ないと思っていたけど。

本当はすごく多かった。

考える事が似てる人って、案外多いものなのか。

どこでも開発が強引に進められているし、住んでいた場所が今までと様子が変わってきて、住みにくくなったのかもしれない。

住みにくい所で我慢するより、思い切って引っ越すというのも一つの生き方。

俺達みたいに強引に追い出された感じの人達も、もしかしたら居るかも。

山の主が言う通り、開発を進めてそこに適応しない人間は排除する意向の奴らにとって、これだけの人数がいるとさすがにやりにくいはず。

今も、ヘリコプターで上から監視を続けているのは相変わらずだけど。

奴らがこのまま諦めてくれて、これからもここで平和に暮らしていけることを願うばかり。

9月19日

このまま何事も無く、平和に暮らしていけたら・・・って願ってたけど、どうも簡単にはいかないらしい。

一昨日、数日ぶりに俺とリキは、山の主に乗せてもらって近くの上空を散策していた。

今回は夜の時間帯。

昼間とはまた雰囲気が違い、夜の森の中はとても静かだ。

街中と違って、真夜中まで煌々と明かりがついている事もなく、おそらくほとんどのの人が眠りについている。

山の中から煙が上がっているのを、リキが最初に見つけた。

何かが燃えているらしい。

山火事になっても大変な事になる。

今はまだ広がっている様子は無いし、早く消し止めなければ。

そう思って山の主に伝えて、低い位置まで降りてもらい確認してみた。

燃えているのはテントのようだ。

近くに降りると、山の主は大きな翼で燃えているテントを叩いて、あっという間に火を消してしまった。

周りに火の粉が飛んで植物が燃えているのは、リキが消して回った。

さすが妖獣。

熱いとか無いらしい。

俺は、ここに住んでいた人が気になり、周りを探し歩いた。

燃えていたのはテントとその中に置いてあった物ぐらいで、人の姿が無いのはさっき確認している。

近くの草むらから、人が近付いてくる足音が聞こえた。

犬の鳴き声も聞こえる。

犬も一緒らしい。

最初に、犬の姿が見えた。

茶色の芝犬が走ってきて、そのすぐ後から男性が現れた。

「こんばんは。ここに住んでた人ですか?」

俺の方から声をかけた。

「・・・そうですけど」

いきなり声をかけられてびっくりしたのか、少し警戒されているらしい。

無理もないと思う。

山の主は、火を消した後すぐ離れたようで近くには居なかった。

火を消して回っている時馬ぐらいの大きさだったリキは、小さくなって普通サイズの猫に戻っている。

そのまま対面したらおそらくもっと警戒されるから、考えてくれているらしい。

「テントが燃えてたので・・・」

俺がそう言うと、男性は慌ててテントの方に走って行った。

燃えたテントの前で呆然とした様子。

このままだと、なんか俺が放火犯だと間違えられはしないだろうか。

空から来ましたとも言えないし。

一瞬、そんなことを心配したけれど大丈夫だったらしい。

男性は、しばらくして気を取り直すと「火を消してくれてありがとう」と、むしろ感謝してくれた。

消したのは山の主で、リキが少し手伝って俺は特に何もしてないけど。

そのまま言うわけにもいかないのでそういう事にしておいた。

俺とリキは、朝までここに滞在して話を聞き、明日帰る事にした。

山の主は察して戻ってくれて、みんなに伝えてくれると思う。

見たところ40代半ばくらいに見えるこの男性は一人暮らしで、芝犬と一緒にここで暮らしていたと言う。

上空から見た時も、車やテントで一人で暮らしてるっぽい人は沢山居たから、その中の一人らしい。

この日は天気が良かったから星が綺麗で、外で星を眺めながら夕食を取って酒を飲み、そろそろ寝ようかとテントに入った。

それから1時間も経たないうちに、犬が何かに気がついたらしく起き上がって警戒し始めた。

犬がテントの外へ出て行くので、男性もついて行った。

草むらをかき分けて逃げていく男の姿が見えたので追いかけて、捕まえようとしたところ反撃してきたので、側頭部に蹴りを入れて倒した。

男性は、ここで暮らすようになる以前、空手の師範だったらしく腕に覚えがあったようで、勝負はあっさりついた。

その後、脳震盪を起こして失神していたかに見えた相手が急に苦しみ出し、そのまま絶命してしまったと言う。

俺とリキは、話を聞きながら現場について行って、その死体を見た。

男性の説明によると、失神していた状態から気がついた瞬間、ものすごく苦しみ始めた。脂汗を流し、顔面蒼白だったと言う。

見る間に痙攣が始まった。

救急車を呼ぶにもスマホも何も持っていないしどうしたものかと思っているうちに、激しい痙攣が来たのを最後に男の心臓は止まってしまった。

「俺は見た事が無いが、試合や練習中の事故で人が死亡する事が絶対に無いとは言えないらしい。けれど万が一それが起きた場合、失神したまま意識が戻らずに・・・ということになると思う」

男性がそう言って、聞いた俺も、その通りだろうなと思った。

蹴りが命中して倒れたのが死因ではなく、その後で遠隔操作によって消されたのではないか?

俺は以前、今聞いたのと全く同じように人が死ぬのを見ている。

この死体の様子を見ても、やっぱりそうかと思う。

タネ婆さんと茜さんが刺客を倒した時、殺すような攻撃はしていないのに、相手が急に苦しみ出して死んだ。

「あなたが殺したんじゃないと思いますよ。また後で詳しく話しますけど」

リキがテレパシーで「俺もそう思う」と伝えてきた。

死んでいる事は明白なので今更救急車を呼んでも遅い。

けれどこの事を警察にも話さないわけにいかない。

そう思った男性は、とりあえずテントの方に戻ろうとしてこっちに向かっていたのだと言う。

その前にテントが燃えていたわけだ。

相手は二人居たのかと思う。

おそらくテントの両側からか、二手に分かれて近付いて来ていたうちの、片方の気配に犬が気がついた。

もし犬が気が付かなかったなら、熟睡しているうちにテントごと燃やされて今頃生きていなかったかもしれない。

男性はそう言って、命の恩人の頭をワシャワシャと撫でて感謝を伝えていた。

この男性は、自分は一人暮らしだけれど同じ様に山に住んでいる友人は居るので、明日そこへ行くと言っていた。

俺の方も、ある程度自分達の事を話して、自分の過去の経験からあの死体は放っておいてもいいんじゃないかと話した。

どうせまともな捜査はされずに終わる。

翌朝、友人の所へ向かう男性と別れて、俺とリキは出発。

森の中をゆっくり走って戻った。

道中で、今回のことについてリキと色々話した。

「逃げたもう一人の方のエネルギーが残ってる」

「この辺りに?ここを通って逃げたってこと?」

「そうらしい。受けていた命令の内容も辿れるかも」

リキの集中力を妨げないようにしばらく無言でいると、リキから答えが来た。

「誰でもいいから一人で居る人間を見つけて殺せ。出来る限り残虐に。テントや小屋なら寝ている所を狙って生きたまま焼き殺せ」

「それが指令?」

「そう。人数の多い所が目立って狙われるかと思ったら逆だったな」

「山の主が言ってた様に、人数の多い所だと逆襲されるかもしれないし、派手な戦いになれば、開発地に住んでいる人達が気付いて何事かと思うだろうし・・・それで奴らが諦めるかと思ったところが、俺達が甘かったって事だな」

「逆に人数の少ないところを襲撃して、残虐なやり口を見せて、他の皆んながビビって開発地に戻ってくるのを狙ってるのかと思う」

俺とリキは、戻ってこの事を皆んなに伝えた。

団結して対策を考えようと言う人、怒りに震える人は居ても、怖いから戻って開発地に入れてもらおうという人は誰も居なかった。動物達も。

9月25日

一人で暮らしている人達の間にも、俺達が思っていた以上に互いの繋がりはあるらしい。

あの時危険な出来事があって、その後、テントを焼かれた一人暮らしの男性は同じく一人暮らしの友人の所へ行った。

そこで危険を知らせる話をして、さらにそこから次の友人へ・・・

どんどん伝達された様子。

あの後リキが遠くまで様子を見に行って、状況を伝えてくれた。

山に暮らす人々の通信手段は、次々に回していく手渡しの手紙だったり、特定の場所に並べた石でメッセージを伝えあったり、アナログなやり方らしい。

これは俺達も同じで、パソコンやスマホでやり取りすれば、見られてしまう可能性がゼロでは無いから。

特に、山に逃げたと見られている者のパソコンやスマホは安心出来ない。

勝手に情報が抜かれる可能性は常にある。

「危険」という知らせを受け取った人達は、次々とテントをたたみ、車の人はそのまま移動して、それなりの人数が暮らす場所近くへと逃れた。

知らずにポツンと離れて一人で暮らしている人はもう居なさそうだと、リキが見てきて伝えてくれた。

それなら安心できる。

山へ行った俺達は全員死んだと、思われているなら良かったが・・・

ヘリコプターで上から監視を始めたところを見ると、人物の特定はされていなくても山に逃げて暮らしている者が沢山いることは、既に奴らに知られている。

山道からは入れないとなると、奴らは上空から監視し始めた。

それで人が居る場所に見当をつけてパラシュートで降りてきていたらしい。

山の主が連れて行ってくれて上空から見ている時、俺達は木に引っ掛かっているパラシュートを何度か見付けた。

山の中へパラシュートで降りる事だってかなり危険が伴うと思うけれど、上の立場に居る奴らは自分達より下と見ている人間が何人怪我したって死んだって気にしていない。

実際、暗殺に失敗した者が急に苦しみ出して死んでしまったように、失敗したら遠隔で操作して心臓を止めるぐらいだから。

証拠を残さないためだと思うが、そういう事を平気でやる。

目的地に降りるのに失敗して怪我した場合でも、その場で消される可能性は高い。

人数が多くて大きい村になっているところから狙うかと思ったら逆で、奴らは一人暮らしの人を狙った。

見せしめに殺して、他の者達を怖がらせようという魂胆らしい。

一人で暮らす人は、俺達がこの前会った人みたいに腕に覚えのある男性が多いが、それでも寝ている間に外から火をつけられたりしたらひとたまりも無い。

車の場合も同じこと。

ガソリンに引火する可能性を考えるとさらに恐ろしい。

危険を伝える知らせが、うまく行き渡って本当に良かった。

和人が日記を書き終えた時、リキと動物達が外から帰ってきたらしく、外が賑やかになった。

まだ外は明るいけれど夕方で、この時間になると少し肌寒いくらいになってくる。

外では動物会議が始まっているらしい。

自分も参加しようかと和人が外へ出ると、外で農作業をしていた数人も寄ってきた。

タネ婆さん、茜、喜助、良太、琴音。

善次とキクの夫婦と寿江の三人は、今日の夕飯の支度を担当していて、少し離れたところで作業をしていた。

それでも、この距離で話していたら内容は大抵聞こえる。

ここも安全ではないと感じさせられるような出来事が最近あったばかりで警戒はしつつ、それでも皆んな日常の暮らしを楽しむ事は止めなかった。

豊かな自然に触れ、季節の移り変わりを見て楽しむ事。

この季節に手に入る山の恵みを味わって楽しむ事。

川で行水をするのがそろそろ寒くなってきたので、材料を集めてきて風呂作りに挑戦する事。

山で暮らす他のグループの人達と交流するようになってからは、ぅ貰ったり交換したりして手に入る物も多くなった。

今日は、今ここに居るメンバー以外の十人が二手に分かれて、近辺の見回りをしている。

安全が確認出来るまでは、交代でこれを続けていこうと皆んなで決めた。

いつ誰が行くとか特に順番を決めたわけではないけど、毎日なんとなく行く人が居てうまくいっていた。

「あれからは事件は無いよね。今のところ」

茜が言った。

「狙って行ったってもう誰も居ないからね。一人で居る人間を襲うのは諦めたかもね」

近くに居た黒猫が、ゆったりと体を伸ばしながら伝えてきた。

「安心するのは早いらしい」

今度はリキからそう伝わってきたので、皆んなそっちを見た。

リキがテレパシーで何か受け取っているらしい。

邪魔をしないよう、暗黙の了解で全員が静かに見守った。

「門番からメッセージが伝わってきてる。山道の方から入られたらしい。門番の位置まではまだ遠いけど・・・もっと街に近い方の、人数の多い村の方だ」

「山道に入るあたりは何処も、ムジナ達が頑張ってくれてたみたいだけど。ついに破られたか・・・助太刀に行くか」

「当然」

「今度は目立つ場所を狙ったんだな」

「それとも、たまたまその近くの山道が入りやすかったか」

「もしかして、一度遊びに行ったことがある・・・」

「そう。そこだ。この前、ここの人間六人と俺で行った所」

リキが答えた。

和人達18人と動物達が暮らしているこの場所から真っ直ぐ西へ向かい、そこから街寄りに移動した場所。

そこには、百人ほどの人数で暮らしている小さな村が出来ている。

そこの人達も、一度村人全員で拠点を移したというのを聞いた。

最初は今よりももっと街寄りに居たらしい。

そうやってどんどん追い詰められていって、どんなに山の方に逃げても追ってこられるのかと、それを聞いた時は思った。

「大家族も、一人で住んでた人達も、他にも・・・けっこう皆んな、あの村へ行ったらしいな」

リキが、情報を受け取って伝えてくれる。

数匹の犬達が、見回りに行っている人達を呼び戻しに行った。

「早く行った方が良くない?こうしてる間にも村が、めちゃくちゃ攻撃されてたら・・・」

良太が心配そうに言った。

「落ち着きな。大丈夫だよ。派手に攻撃して環境を壊せば、あいつらだって住めなくなる。それも知らないほど馬鹿じゃないはずだからね」

隣に座っていたタネ婆さんが言ったので、良太も納得した。

「かなりの人数で来ているらしい。村人が多く集まってる店なんかを取り囲んで、一度事情を聞くから来いということらしい」

リキが状況を伝えてくれる。

「犯罪を犯したとかでもないのに。何で呼び出し食らって行かなきゃならないのか意味分からない」

琴音は、彼らのやり方に相当腹が立って、気持ちをそのまま言葉に出した。

何人もが頷いて聞いていて、ほとんど皆んな気持ちは同じだった。

唐突に、三体の山の主達から、メッセージが伝わってきた。

「もしも決戦になったら少しは手伝おう」

「あまり派手に手伝ったら死人が多く出るからな」

「ほどほどにな。ここの沼まで来やがったら引きずり込んでやるが」

テレパシーで伝わってくるこの言葉を、人間も動物達も全員はっきりと受け取った。

山の主達とは最初、奴らに開発を進めさせないという約束をして、今まではムジナ達が頑張ってくれたおかげもあってそれが守られてきた。

山に住む人間達が、自然を壊さないように暮らし、約束を守ろうと頑張ってきたことを山の主達はこれまでずっと見守っていた。

それで、危機が迫った今、助けようという気持ちになっていた。

「・・・こっちへも奴らが向かってるらしい。どうやって入ったんだ」

皆んなが走り出そうとしている時に、リキがまたテレパシーを受け取った。

「門番は外からは見つかりにくいから無事らしいが・・・」

「近道は知られてないってことか」

「そうだ。それでもいずれ・・・ここには入ってくる。多分。村の方は、状況は変わっていないらしい。奴らは多人数で店を取り囲んで睨みをきかせているだけで、武力を使うような攻撃はしていない。村人達の方は、それを完全無視で店の中で普通に過ごしている。奴らがある程度多人数で来ていると言っても、人数の多さでいくと村人の方が上だからな。動じない村人達に対して、馬鹿にしやがってと怒ってみても、奴らだって内心怖いと思う。ヘリコプターで上から見て、山全体に暮らす人数を把握してるからな。仮に攻撃して、そこに居る村人全員倒したとしても、周辺にどれだけの人数が居るか考えるとかなりの恐怖だろうな」

「実際あの村には、今けっこうな人数が向かってるんだろ?」

和人が聞いた。

「多分だけど・・・千人以上行くんじゃないかな。逆に今の時点でここは少ないから、来られたら危ないな」

「もしかして奴ら、最初からそのつもりじゃないのか?二手に分かれて、村に引き付ける役目が半分、残り半分は山に入って、人数が減った所を攻撃する」

「おそらくそうだと思う。全員あっちへ行ってしまったら奴らの思う壺で、居ない間にここの住居や畑が全部焼かれてるとか」  

「そうなったら戻っても住めないから、諦めて開発地に行くとでも思われてんのかな」

「そんなとこだと思う」

「呑気に話してる場合じゃなくない?来ちまうよ」

三毛猫が伝えてきた。

犬達は、見回りに行っていた十人を連れて戻ってきた。

さっき途中で住居の中へ入って行った琴音が、何か持って来たので皆んなそっちを見た。

「これ、いざという時のために作っといたんだけど。ほんとに使うことになるとはね」

「何なの?それ」

籠に山盛りになっている丸い物体を見て茜が聞いた。

「唐辛子の粉と灰を混ぜて丸めたやつ。その辺の催涙スプレーより効くよ」

「それでいて人を殺すわけじゃないし。凄いの考えたね」

「まだあるから、全部持ってくるね」

「琴音ちゃんは凄いな。皆んな持ってる物集めるか。俺が持ってるのは、催涙スプレーとスタンガンとフラッシュライトと・・・もうすぐ暗くなってくるしフラッシュライト使えるな」

「俺も大体同じ物は持ってる。取ってこよう」

猫達は、25匹が一つにまとまって辺りを走り始めた。

少し離れて見ると、一つの大きな獣に見える。

暗闇になって月明かりに照らし出されると更に恐ろしく、物の気の様に見えるに違いない。

リキは、馬ほどの大きさになって和人のそばに居た。

必要とあればもっと大きくなる事も出来る。

「リキが居てくれるし、いざとなったら山の主達が助けてくれるとも言ってるし、きっと大丈夫だ。それに山で暮らしている俺達は、暗闇でも物が見える。街から来る奴らより、これは相当に有利だ」

和人がそう言って、皆んな頷いた。

ここにいる人間達も村で普通に暮らしていた頃は、今のような視力は無かった。

人工的な照明を使わず自然豊かな環境で暮らすと、視力が上がって遠くまで見えるようになるし、暗闇でも物が見えるようになる。

他にも、嗅覚が鋭くなったり、気の流れを感じ取る感覚が鋭くなる。

野生で生きていく者に備わっている危機察知能力が、ここで暮らす間に自然と身についていた。

「人数が少ない事を知られない工夫は必要だな」

和人が言うと、リキが「こっちへ来い」という感じで先導して歩き出した。

「もう始めてるみたいだぜ」

リキが言うので視線の先を見ると、陽が落ちて暗くなりかけた林の中、数人が動いている。

何か作っているらしい。

食事の支度をしていた三人も、そういえば途中から居なかった。

作業を放り出してどこか行ったようだとは和人も気が付いていた。

近づいてみると、やっぱり善次とキクの夫婦も寿江もそこに居て、他にも四人居るのが見えた。

犬達も、何やら引きずって来たりして手伝っているらしい。

「あれは・・・」

「人数を多く見せるための仕掛けだろうな。多分」

さらに近づいて見ると、皆んなで一生懸命作っているのは案山子のような物だった。

作りは簡単なもので、棒切れ、ボロ布、藁などを適当に組み合わせて人の形に見える物をいくつも作っている。

犬達は薪木を集めているらしい。

「何かの準備ですか?」

和人が声をかけた。

「真ん中で火を焚いて、周りに案山子を置いて、ここに人が集まってる感じに見えないかなって。暗いのが幸いして、近くに来ないと分からないと思うし」

寿江が、作業の手を休めずに答えた。

「俺も手伝います」

和人もすぐに、近くにある材料を組み合わせて作り始めた。

リキは「奴らがどこまで来てるか見てくる」と言って走り去って行った。

他の人も集まって来て十人以上で協力して作ったので、短時間でけっこう作れた。

あとの数人は、侵入者を阻む仕掛けを作ったり武器になる物を揃えている。

今日は風も強くないので、作った物が簡単に倒れたり焚き火の炎が消えたりということも起きにくい。

真夏の暑さはもう無いし、寒さに震える季節でもない。

こういう作業をするには、とてもやりやすい気候だった。

皆が作業に没頭しているうちに夕方を過ぎて夜になり、辺りは闇に包まれた。

それでも、自然の中で暮らす人々にとっては月明かりがあれば十分周りの様子を見ることが出来た。

焚き火を始めると、炎の明るさでさらに周りが見えやすくなった。

「何人で来るか分からないけど、ここに誘き寄せれば・・・・」

「こっちは全員隠れて、相手側が攻撃に出るまでは待つか」

「隠れるって木の後ろとか?」

「上もありなんじゃない?」

「そうだな。手頃な木がけっこうある」

「相手側はこっちの人数は知らないから、実際より多く見せられたら成功だね」

「それで勝手にビビって逃げてくれたらいいけど」

「出来れば、犠牲者が出るような戦いにはなってほしくないよね」

「それは言える」

「ちょっと離れて見てみる」

数十体の案山子が出来たので、和人は一旦離れた。

相手側がこっちに向かって来た時、これがどう見えるのか気になった。

(山道から侵入したなら、ここに来れる道は一本しかない。近道の方は、門番が無事だということは破られていないし・・・)

考えながら数十メートル歩いて、振り返る。

(侵入者は、ここから向こうを見る形になるから・・・)

見ると、焚き火の炎が赤々と燃えていて、その周りを囲むように沢山の人が居る。

本当にそんな風に見えた。

これなら大丈夫そうだと確信する。

戻ろうとした時、ちょうど向こうからリキが戻ってきた。

「百人くらい居る感じだな。こっちに向かってる」

「少なくはないけど・・・それくらいの規模ならまだ何とか出来そうな気がする」

「そうだな。あれもなかなか上手く出来てるし」

リキが、和人達がさっき作った仕掛けの方を見て言った。

「開発地にも人が沢山住んでるわけだし、本格的に軍隊なんかを山に向かわせたら、何事が起きたのかって騒ぎになるからな。奴らは、開発地に住む庶民には知られずに密かに、山で暮らす者を脅して開発地に移動させるか、それが出来ない時は始末したいんだと思う」

リキがそう言って、和人はその通りだろうなと思った。

今も村に居て睨みをきかせている数十人。それと、ここへ向かっている一団。相手側の作戦実行に携わる人数は、おそらくそれが全部だろうと思われた。

「ここの近くには、俺達以外誰も居ないわけ?」

「そうらしい。周り全部見てきたけど、皆んな村の方に加勢に行ったようだな」

「それでいいのかもしれないな。村人の人数が多いほど戦いにならずに済む可能性出てくるし。人数的に不利なのを見て奴らが引き下がってくれたらベストだな」

「そのためにもこっちは負けられない。それと出来ればこっちも、互いに殺し合うような戦いじゃなくて、山には何か恐ろしい物が居るらしいという事になればいいと思う。だから山には近づかないでおこうと思ってもらえれば」

「人ならざる者の存在か・・・・作戦としては最初に戻る感じだな。説明会の時の事とか、山道で起きた車の事故とか、奴らも忘れてはいないだろうから、ちょっと押せば効き目があるかもな」

和人とリキが話しているところへ、琴音と良太がやってきた。

「武器が揃ったから、この辺の木に登るね」

その後から、茜とタネ婆さん、喜助、犬のシロが歩いて来ている。

「木に登るのは若い者しか出来ないからね。頼んだよ」

和人達の方を向いてタネ婆さんが言った。

「時間が無いし深くは出来なかったが、こっちは穴を掘って仕掛けを作った。来るとしたらおそらく道はここしか無いからな」

そう言った喜助は、持ってきたスコップを草むらの中に隠した。

どんな物を作ったのかと和人が聞くと、奴らがき来たら必ず通ると思われる道に溝のような穴を掘ったという事だった。

その手前にも、低い位置に細いロープを張って、人が来たら隠れている者が両側から引っ張る仕掛けを作ったと言う。

暗闇に慣れていない人間なら、真っ暗な中でいきなり足元に何か引っかかったり、掘られた穴に足を取られて躓いたら・・・かなり怖いだろうなと和人は思った。

木に登って隠れる事も含め、昼間ならうまくいくかどうかあやしい仕掛けでも、あたりが暗い事をうまく利用すれば行けそうな気がした。

「奴らの側も、こっちに気付かれないように近づこうとするだろうから、明るい照明は使わないと思う」

「そうだな。人数は向こうの方が5倍以上多いけど、今の作戦ならいける気がする」

茜、和人、良太、琴音の四人は、琴音が作った武器を持って木に登った。

下では、喜助、寿江、善次とキクの夫婦が、仕掛けを作動させるために隠れている。

喜助は「使うことはまず無いと思うが一応持ってきた」と言って、猟銃を持ってきていた。

琴音が作った武器は全員持っていて、仕掛けで倒した相手に投げつける算段だった。

この武器は、成分的には催涙スプレーの古代版のようなもので、まともに食らうとしばらくは咳き込んで目も開けられなくなるが、失明するような心配は無い。

タネ婆さんは、フラッシュライト、スタンガン、催涙スプレーなど、ある限りの武器を預かって持っていた。

近くの草むらに身を潜めて待機する。

その横に、猫の大きさに戻ったリキが居る。

いざとなれば体を大きくして加勢するつもりだった。

ここに居る以外の人達は、焚き火を中心にもう少し遠くに、この場所を囲むように待機した。

全員、琴音が作った武器や木刀を持って隠れた。

そこには犬達も一緒に居る。

「気をつけて!上から何か来てる!」

琴音が、下に居る皆んなに向かって叫んだ。

それと同時に、焚き火の近くの案山子が、何かに撃たれたように前に倒れた。

燃えやすい素材で作られた案山子に、焚き火の炎が燃え移り、激しく燃え上がった。

続いてもう一発、上から発射された何かが別の案山子に命中した。

頭部を撃ち抜かれた案山子が、焚き火の方に倒れ込んだ。

続いてもう一発。

今度は僅かに外れて、激しく燃える焚き火の炎の中に何かが飛び込んだ。

攻撃は、焚き火の方にばかり向かっている。

これが見せかけだとはバレていなくて、本当に人がいると思って撃ってきているらしい。

村で起きている事とは違い、多くの人に見られる心配は無い山の中だ。

相手は確実に、最初から自分達を殺す気で来ている。

案山子ではなく自分達があそこに居たとしたら、もうすでに犠牲者が二人出ているわけだ。

それを思うと和人は背筋が寒くなった。

ここに居る人達は皆んな大切な仲間で、誰にも死んで欲しくない。

焚き火と案山子の仕掛けを作っておいて本当に良かったと思った。

「撃ってきてるのはヘリコプターじゃない。ドローンだな・・・え?鳥さんが加勢してくれてる?」

攻撃を仕掛けてきていたのは、遠隔で自動操縦されているドローンだった。

木に登っている四人が見ている前で、フクロウの大群が飛んで来てドローンを取り囲み、攻撃して叩き落とした。

それが済むと、間髪入れずに二機目三機目に襲いかかる。

沼に落とされた物はそのまま沈んでいき、森の中に落とされた物は大破して炎を噴き上げた。

「いざとなったら加勢しようと思っていたが、心配無さそうだな」

山の主の黒い怪鳥から、テレパシーで皆んなに伝わってきた。

「あのドローンには、地上にある攻撃目標に狙いを定めて撃つという単純な機能しか備わっていないらしい。下に居る人間を狙うことしか想定していないから、逆に直接加えられる攻撃に対しては脆いようだな」

山の主は、フクロウ達の戦いを観ながら、さらに伝えてくれた。

それでもドローンの数は相当多いらしい。

次々と叩き落とされているが、フクロウ達の攻撃をかいくぐって一機が向かって来た。

けれど今度は下からの攻撃で、それは撃ち落とされた。

反対側でも、同じことが起きている。

近くでは喜助が、向こうでももう一人、猟銃を構えて狙いを定めている。

上ではフクロウ達が戦っていて、それでも近づいてきたドローンは次々と打ち落とされた。

攻防がまだ続いているうちに、草をかき分けて人が向かってくる足音が聞こえてきた。

木の上から見ている四人も、向こうから近づいてくる者達が居ることにすぐ気が付いた。

全員音を立てず、テレパシーのみでやり取りする。

「銃声は聞こえてるはずだけど。構わず近付いて来るみたいだね」

「奴らの側から来る人間って皆んな、なんか感情無いっていうか・・・命令通り動いてる機械みたいな感じだもんな。危険だから待つとか無いんじゃないかな」

一団が通ってくる道は、さっき皆んなで予想した通りだった。

そして、攻撃は突然始まった。

誰かが号令をかけているわけでもない。

遠隔で命令が出ているのかもしれない。

最前列の十人ほどが、焚き火の方に向かって突撃してきた。

隠れていた善次とキクが両側からロープを引っ張っぱると、勢いよく突進してきた者達は次々と転んだ。

次の列の者達が止まれずにその上に重なるように転び、起きあがろうとした者が今度は溝に落ちた。

暗闇の中で、何が起きたのか分からずにバタバタしている者達めがけて、四人が一斉に木の上から武器を投げつける。

唐辛子の粉に灰を混ぜて固めたボールは、物に当たると砕けて中身が飛び出す。

当たれば目や鼻や喉に焼けるような痛みが走り、一時間は回復しない。

昔、忍者が使ったと言い伝えられている武器だった。

この攻撃を受けた者達は、あっという間にその場にしゃがみ込んで動けなくなった。

痛みに耐えきれず転げ回っている者も何人も居る。

原始的な武器のように見えて、性能の良い催涙スプレー並みの効き目だった。

それでも、三列目、四列目の者達は、何事も無かったように突進してきた。

倒れている者達の体の上を、平気で踏み越えて向かって来る。

もう少しだけ焚き火寄りに作っていた同じ仕掛けを、寿江とタネ婆さんが引っ張った。

走ってきていた者達は、さっきと同じように次々と転び、起き上がってもその先の溝に落ちた。

木の上の四人が、上から狙って武器を投げつける。

これでもまだ、後ろの列の者達は同じように突進してきた。

ドローンと同じで単純な攻撃しか出来ないらしいと、見ている皆んなも大体分かってきた。

仕掛けはもうこれ以上無い。

タネ婆さんが飛び出して行き、突進してくる者達に向けて催涙スプレーを吹きかけた。

武器を持っている他の皆んなは、それを投げつける。

木の上に登っていた四人は、飛び降りて地上の方に加勢した。

さらに向かってくる後ろの列の者達に向けて、武器が続く限り18人全員で応戦し続けた。

攻撃をすり抜けて中に入ってきた者は、馬ほどの大きさになったリキと、11匹の犬達に飛び掛かられれて地面に倒された。

倒れたところにスタンガンの一撃を食らって動けなくなった。

ドローンの攻撃はいつの間にか止んでいた。

フクロウ達と、猟銃で応戦した二人によって全部撃ち落とされたらしい。

地上での戦いも終わりに近付き、相手側で立っている者はもう居ない状況になった時、リキが「気をつけろ」と伝えてきた。

リキの意識が上空に向いているのが分かったので、皆んな空を見た。

ヘリコプターが来る。

今までずっと、上空から山の中を監視し続けていたヘリコプターらしい。

「来るぞ!伏せろ!」

誰かが言ったのを合図に、住居の近くに居た者はその中に飛び込み、間に合わなかった者は食糧庫の中や岩陰に飛び込んで身を伏せた。

低い位置に迫ってきたヘリコプターから、何か投げ落とされた。

焚き火の辺りだと皆が思った瞬間、地面を揺るがすような爆発音が響いた。

焚き火のあったところは跡形も無く吹き飛び、周りに置いていた案山子ももちろん、原型を留めていなかった。

それだけならまだいいのだが、さっきここで倒した者達が、動けなくなってこの場に居た者達が、この攻撃で命を落とした。

「まさか・・・味方がいるのに上から・・・」

和人は、信じられない思いで顔を上げ、立ち上がろうとした。

「まだ危ない!」

リキが和人の体を突き飛ばして、その上に覆いかぶさった。

最初のヘリコプターは飛び去って行ったが、相手は一機ではないらしい。

次に来たヘリコプターが、低い位置に迫ってくる。

ヘリコプターの中から、地上の方に銃口が向けられている。

山で暮らす者が誰か目についたら、上から撃ち殺そうと狙っているのか・・・皆んなそう思って体を固くした。

次の瞬間、銃声と断末魔の叫び声が和人の耳に響いた。

時間にすると数秒の間の出来事。

さっきの戦いで攻撃を受けて地面に倒れ動けない者達を、容赦なく撃ち殺した後、ヘリコプターは悠然と飛び去って行った。

住居の中に飛び込んだ者は、その様子をもろに見ることになったが、出て行けば自分も撃たれるしどうしようも無かった。

焚き火があった場所の周辺は、まるで地獄絵図のような悲惨な状況だった。

自分達が誰も殺したわけではないのに、まるでそうしてしまったかのようにあと味が悪かった。

「ちょっと来て!この人まだ息がある」

倒れている男性の前にかがみ込んで様子を見ていた茜が叫んだ。

タネ婆さんがすぐに行って、状態を見る。

「大丈夫そうだ。致命傷は負っていない」

「この人も・・・大丈夫ですか?わかりますか?」

寿江が、他の一人の側に行って話しかけている。

明らかに死んでしまっている人はもう仕方がない。

けれど何人かでも助かるかもしれない。

すぐに全員で手分けして、助かりそうな人を見つけて住居へ運んだ。

犬達もすぐに、その作業に加わった。

和人が、リキが途中から居ないと思っていたら、数十分後に猫達と一緒に戻ってきた。

ヘリコプターから見えるように、わざと山の中を走り回ってきたらしい。

最初の作戦通り、人ならざる者が山に居ると思わせる作戦。

この事もうまく行けばいいと全員が願った。

これ以上戦いはしたくないし、彼らには二度と山に入ってこないで欲しいと願った。

怪我をしていてもまだ息がある人を住居に運んで、タネ婆さんが中心になって皆で協力し、手当を頑張った。

けれど、人々は次々と急に苦しみ出して、間もなく心臓が停止してしまった。

怪我の具合からするとまだ助かりそうな人が十数人居たのに、ことごとく亡くなってしまう。

誰も助けられない・・・・

皆んなが無力感に苛まれている時、リキが言った。

「これは仕方無い。皆んなが悪いんじゃないし。あの時と同じだ。生きていると分かると遠隔操作で殺されてる」

「情報流出を防ぐためってやつ?さっきのヘリコプターからの爆薬投下も銃撃もそうだけど、ここまでするか・・・」

和人は、あまりの事に納得出来なかった。

「そういう相手だって事だよ」

「・・・待って!この人は助かるかもしれない」

話している和人達の方を向いて、茜が言った。

茜は、タネ婆さん、寿江と一緒に、一人の少年兵の手当をしていた。

「最初心肺停止状態だったからね。心臓マッサージで蘇生してくれたんだけど、奴らの側には死んだものとカウントされているかもしれない」

一人でも助かるのなら、何としてでも助けたい。

和人も、リキも、近くに居た人間も動物達も皆んな集まってきた。

「怪我は酷いけど、止血は出来たし・・・若いから生命力も強いかもしれないね。期待しよう」

タネ婆さんがそう言って、皆んなの表情が少し明るくなった。

「亡くなった人達は、せめて俺達で供養したらどうだろう」

喜助がそう言って、男性達はスコップを持って外へ出て行った。

亡くなった人達の名前も分からないけれど、遺体を埋めて墓標を一つ立てて、周りに木や花の苗を植えたらどうかという話になった。

力仕事は男性達がやり、あとは女性達が協力して、落とし穴を埋めて元通りにしたり、戦いでめちゃくちゃになった状態を少しでも整えようと働いた。

唯一助かりそうな怪我人の側には、タネ婆さんが付き添った。

まだ意識が戻らず熱も下がらないけれど、心音も正常に聞こえるし脈はしっかりしていた。

これなら大丈夫そうだと、タネ婆さんは確信していた。

焚き火をしながら深夜まで作業して皆んなかなり疲れてきたので、今日は一旦休もうということになった。

幸い、洞窟を利用した住居に関しては全て無傷だった。

外に作っていた簡単な建物は、爆発の衝撃で物が飛んできて当たり、一部損傷した所はあった。

けれど直せば済む程度で、今晩そこで寝る分には問題無かった。

怪我人にだけは一人ずつ交代で付き添いをしようということになり、それ以外の者は皆んな休んだ。

リキは周りを見回って警戒していたけれど、これ以上攻撃がくるような事も無く、近くに侵入者が潜んでいるという事も無かった。

9月30日

あの戦いがあった日から、数日が過ぎた。

村の方の様子は、リキが翌日見に行ってくれた。

ここでの攻撃が失敗した後、村でも奴らは撤退したらしい。

奴らの元々の計画としては、ここを攻撃して潰して、その情報を持って村の人達に脅しをかけるつもりだったのかと思う。

それが逆に失敗して、脅しに使えるネタは出来なかった。

奴らに周りを取り囲まれても、村の人達は誰も恐れず平然と普通に過ごしている。

この状況を見て、もう無理だと判断したのかもしれない。

今のところ、ここでもあの戦い以来特に何も起きていない。

村の方も変化無しと、今朝見に行ったリキが伝えてくれた。

奴らも諦めたということか。

それだったら何よりだけど。

一人だけ助けることができた少年兵は、戦いの日から二日後に意識を取り戻した。

今は熱も下がってきていて、おそらくもう心配無いとタネ婆さんが言っていた。

この少年兵は、見たところまだ十代半ばくらいかと思う。

若い命が失われなくて本当に良かった。

俺達に対してはまだ警戒しているのか、名前や住んでいた場所についても話してはくれない。

ただ、こっちが悪意が無いのは伝わったらしい。

なぜ伝わったかという理由は、彼が意識が無かった間に起きた出来事によるものだ。

彼が意識を取り戻してから聞いた話。

あの時、俺達がやったこと、話していたことを全て認識していたと言う。

これもすごく不思議な話だけど、一度心肺停止して肉体としては意識がなかった時、別の位置から、大怪我をして手当を受けている自分の姿を見たと彼は話した。

彼が言うにはあの時、痛みの感覚は全く無くて、体がフッと軽くなったと思ったら、天井の高さから自分の体を見下ろしていた。

下に見える自分の体の周りに、三人の人達が居た。

真っ白な髪のお婆さんが一番近くに居て手当をしてくれていて、その近くに、年配の女性と若い女性が居た。

「この人は助かるかもしれない」と若い女性が言って、そしたら周りに居た十人くらいの人達がどんどん集まってきて、動物も沢山集まってきた。

自分の他にも何人も、ここで戦った人達が寝かされていて手当を受けたけれど助からなかったらしい。

亡くなった人達のお墓を作るようなことを誰か言っていた。

自分達は敵なのに、どうも本当に助けてくれているのかもしれないと思った。

拷問にかけて何か聞き出すために助けたとかそういうのじゃ無くて。

彼の話した内容からして、意識の無い間にここで起きた事を全て見ていたのは間違いない。

タネ婆さんに話すと、人間は元々肉体が本体では無いから、肉体から意識だけが抜けてそういう体験をする事はしばしばあると言う。

普通はそのまま肉体から離れていくわけで、これが肉体の終わり(死ぬ)という事なんだけど、そうなる手前で蘇生した(再び意識が肉体に戻った)ということらしい。

実際、彼はあの時完全に意識が無かったのに、普通に考えたら見ているはずのないものを見ていた。

ということはやっぱり、意識だけが肉体から抜けたとしか考えられない。

彼はあの時死んでもおかしくない状況だったし、実際一度心臓が止まっているし、大変な経験をしたわけだけど・・・そのせいで、奴らからは死んだと見られていて、だから彼だけが助かったのだと思う。

こういう事を見ていると、人生何が幸いするかわからないものだと思う。

亡くなった人達のお墓は出来たし、戦いで壊されたところもかなり修復出来た。

皆んなの暮らしも、普通通りに戻っている。

今回の事で、俺達が住んでいる場所について確実に奴らに知られてしまった。それだけが心配だけど。

けれどそれを言い始めると、奴らに包囲されていた村の方だってそうだし、テントを焼かれた一人暮らしの人もそうだし・・・

皆んな居場所を知られてしまっている。

確実に見つからずに山で暮らすというのは不可能なのかもしれない。

「開発地で暮らす事を良しとせず勝手に山に入って住んでいる人間が沢山いる」この事実が、奴らにとっては面白くない事なんだろうけど。

それを力ずくで何とかしようとするのを、奴らが諦めてくれたらいいのに。俺達はただ、これを期待するしか無いのかもしれない。

和人は、日記を書き終えると外へ出た。

9月も終わりになり、昼間でもかなり涼しくなってきたと感じる。

タネ婆さんが、こっちへ歩いていくるのが見えた。

「お疲れ様」

少年兵の看病を主にやっているのはタネ婆さんなので、和人はそう声をかけた。

「なかなか面白いことが聞けたよ」

「ほんとに?自分から何か話してくれたんですか?」

「少しは信用してくれたみたいだね」

和人はタネ婆さんと並んで切り株の上に腰を下ろし、話を聞いた。

タネ婆さんは少年兵に対して、名前も住所も職業も言わなくていいから、どんな命令でこの戦いに来たのか、そこだけを良かったら教えて欲しいと聞いてみた。

別に答えが返って来なければそれでもいいと、ダメもとで聞いた感じだった。

それも今日になって初めて聞いてみたことで、彼が意識を取り戻してから今まで、特に何も聞かず傷の手当てを続け、水や食べ物、調合した薬草を与えてきた。

その事を見ていて「確かに悪意は無いらしい」と信じてくれたのか、少年兵は少しずつ話し始めた。

自分は普段工場で作業をしているが、呼び出しがかかれば行かないといけない。

それが何の呼び出しかは行くまで分からない。

今回は、行ってみたら百人くらい集められていて、これから山へ向かうと言う。

「山には、安全なこの街に災いをもたらす恐ろしい存在、人ならざる者が棲んでいて、今年に入って度々犠牲者が出ている。これが今大きな問題になっている」というのは普段から聞いていた。

そんな恐ろしいものと、これからもしかして戦うのかと思っていると、指揮官らしき人達が数人来て話した。

「お前達は注意を引きつけるだけの役割だから安心して大丈夫だ。攻撃は、ヘリコプターを使って空から、周りから戦車でするから、号令がかかったら突撃して、戻れと言われたらすぐ撤退すればいい」という事だった。

山の中は衛生状態がいいとは言えなくて街には無い伝染病の原因になる虫とか細菌とか多いから、予防接種が必要らしくて行く前に注射を打った。

マイクロバスで現地に向かう間、勇壮な音楽が鳴っていて、だんだん気分が高揚してきた。

頭の中で「進め。進め。進め。倒せ。倒せ。倒せ」と、繰り返し言葉が聞こえていた。

車から降りて、途中から徒歩で山道を進んでいき、何列かに並んで、号令がかかるまでそこで待った。

指揮官らしき人達の姿は途中から無かったから、もう少し外側で待機している戦車の方に行ったのかなと思った。

自分は一番前の方の列だった。

「突撃!」という声が頭の中で突然響いて、走って行った後のことはほとんど覚えていない。

気がついたら、血だらけで倒れている自分の体を上から眺めていた。

少年兵の話によると、こういうことだった。

彼が嘘を吐いていれば、タネ婆さんならすぐに分かる。

これは全て本当の話のようだ。

「注射の中身はおそらく、精神を高揚させる麻薬の類だろうね」

タネ婆さんが、話の最後にそう言った。

「音楽が流れていたというのも、もしかしたらそういう作用のある周波数のものを流していたのかもしれない」

「どうせそんなことだろうとは思ってたけど。やはりか」

和人は言った。

最前線に押し出される人達は、詳しい事など何も知らないのではないかと思っていたのはその通りだった。

外から援護する予定など最初から無く、奴らは自分達だけ安全な所に隠れて様子を見ていたに違いない。

ヘリコプターでの上からの攻撃は援護などではなく、作戦に失敗した時に、実行にあたった人達を始末するためのものだった。

それを知らなくて、援護してもらえると思っていたから誰も逃げなかったのかと、その時の状況を思い出した。

「山の主達は全部見てたからねぇ。相当怒ってるよ」

「俺だって相当腹が立ってる。それにそういう奴らなら、またしばらくしたらどんな手を使ってくるか分からないし・・・・」

「山の主達と同意見のようだね。私もそう思うよ。二度と山には近付きたくないと奴らに思わせるために、これからちょっと面白いことをやろうと思ってね。山の主達が全面協力してくれるらしい」

次の日の朝、山の主の中の一体である巨大魚が、沼から姿を現した。

巨大魚に会って会話したことがあるのは、人間ではタネ婆さんと和人だけだ。

その二人でも、巨大魚は常に水中に居るのかと今まで思っていて、そうではなかった事を初めて知った。

巨大魚は、両生類のように陸に上がる事も出来る。

水面に出た頭の部分しか見たことが無かった二人は、巨大魚の体長は3メートルくらいかと思っていたけれど、実際はその倍以上あった。

巨大魚は、のっそりと沼から上がると、ヒレの部分を足のように使ってスルスルと移動して行った。

川の方へと向かう。

この川は、麓の村へ、それから街の方まで続いている。

山の主達は、肉体を持った動物や人間とは違って妖怪なので、人間の目から見た自分の姿を自由に消す事も現す事も出来る。

普段はほぼ、姿を見せずに生きている。

姿を見せるのは、人間と会話する時などに限られる。

そういう時彼らは、人間の視覚によって捉えられるように自分の周波数を合わせていく。

間をおかず、巨大な白狼が林の中から姿を現した。

巨大魚が向かった方向と同じ、川の方へと走って行く。

川に沿って麓の村へ、そこから街へ向かうつもりらしい。

リキにも、動物達にも、ここに居る人間達にも、彼らはテレパシーでその事を伝えてきた。

今度はすごい風圧が来て辺りが暗くなったと思ったら、黒い怪鳥が近くに

舞い降りた。

一緒に来るかと聞いてきて、リキが行くと答えた。

「俺も行きます」

リキの隣に居た和人も言った。

「もうちょっと若かったら私も行きたいところだけどね。ここは若いもんに任しとくとするかねぇ。皆んなと一緒に待ってるよ」

タネ婆さんはそう言った。

山の主達もリキも居なくなっても、今しばらくはここが攻撃されることはなかろうと皆んな何となく思っていた。

黒い怪鳥は、ここ最近上から様子を見ている間に、奴らの本拠地を見つけていた。

街の真ん中かと思ったらそうではなく、一見中心地に見える場所には、トップに近い奴らよりもう一段階下の者達がいるらしい。

戦闘の指揮を取ったのはこの辺りの奴らかもしれないが・・・と山の主は言った。

全てを計画している者達はさらに上の身分で、市街地を離れた山の麓近く、広々とした美しい土地に住んでいるらしい。

一般庶民を人口密集地の狭い集合住宅に押し込めて、自分達だけは違う暮らしをしている彼らは、定期的に会議を開いているらしい。

会議の開かれる場所は、彼らの住居が点在している地域の中心。

公会堂のような場所らしい。

そこに、人間の中では一番上の立場に居る数十人が集まる。

彼らのさらに上にいるのは、邪悪な人ならざる存在。

ここに居る人間達は、自ら進んでその存在達に魂を売った者達。

その代わりに、人間の世界では社会的地位と巨万の富を得ている。

彼らと関係無く自分の事業で財を築いた者は、市街地近い方に住んでいるらしく、ここに居る奴らだけが最高の環境で暮らせる特権階級。

他の者はどれだけ頑張ってもここには住めないらしい。

これだけの情報を掴んだ山の主達は、会議の開かれる日を狙って「少し脅してやろう」と考えた。

「これから実行する計画のために、あと数人来て欲しい」と山の主が伝えてきたので、リキと和人の他に、茜、良太、琴音、犬のシロが怪鳥の背中に乗って飛び立った。

目標物が目の前に迫ってきた。

黒い怪鳥はスピードを上げて、公会堂の屋根の部分に横から突っ込んだ。

凄まじい音がして屋根が吹き飛ぶ。

建物の中から叫び声が聞こえ、逃げ惑う様子が伝わってきた。

中に居た人々が数十人、バラバラと外に逃げ出してくる。

巨大な白狼が向こうから走ってきた。

公会堂の近くに停めてあった車に体当たりして、片っ端からひっくり返していく。

車で逃げようとそこへ向かっていた人々は、回れ右して逃げ出し、川の方へ向かった。

川まで行けば、船で逃げることができる。

人々は、ヘトヘトになりながら川までたどり着いた。

船の置いてある場所へ向かっている途中、川の中から大きな何かがこっちに向かって泳いで来るのが見えた。

大きな黒い影が、水中を移動している。

それがすぐ近くまで来たと思ったら、突然ものすごい水飛沫を上げて、見たこともない巨大魚が顔を出した。

大きく開いた口の中に、鋭く尖った歯が見える。

そこに止めてあった船を、巨大魚の尾鰭が叩き壊した。

凄まじい音がして破片が飛び散った。

それだけでは済まず、何と巨大魚は、のっそりと陸に上がって来た。

その姿を見た人々は悲鳴をあげて川から離れ、また走った。

逃げ場を失った人々は、市街地に向かって走り始めた。

黒い怪鳥が、低空飛行でそれを追って行く。

リキは和人を乗せたまま、山の主の背中から途中で飛び降りた。

馬ほどの大きさになったリキが、地上から追いかける。

その後ろから白狼が、逃げ遅れている人々を追いかけた。

先に示し合わせていた通り三方から追い詰めて、数十人の人々を同じ方向に向かわせた。

このまま行けば市街地に入る。

自分達の居住区は絶対に安全だと、彼らは過信していたらしい。

反撃する術さえ持っていなかった。

普段ほとんど運動した事の無い者は、体力が尽きて足がもつれ、途中でバッタリと倒れた。

過呼吸になって苦しんでいる者も居る。

その上を飛び超えて、リキが走り、白狼が走った。

「踏まないだけ有難いと思え」

リキも和人も、同じ事を思った。

走る体力のある者達は、ひたすら走って逃げた。

彼らの居住区の端まで来ると、高い塀があり、その上には有刺鉄線が張られている。

一般庶民から見える外側には「立ち入り禁止」「危険区域」などの表示がある。

庶民に対しては、土砂崩れなどの自然災害、危険な野生動物の出没などの理由を付けて立ち入り禁止にしていた。

実際は、彼ら特権階級だけの優雅な生活と、会議の様子などを知られたくないからそうしているだけだった。

表向きでは「財政は苦しく、配給の食糧も十分確保しにくく、近年偶然重なった自然災害などにより住環境に適した場所は減っている」と発表していた。

「そんな中、我々も懸命の努力を重ねています。今は耐える時です。痛みを分け合いましょう」と繰り返し言っていたので、自分達の居住区は当然見られてはまずいものだった。

しばらく走ったあと、和人を乗せているリキの体がさらに大きくなった。

どんどん大きくなっていって、向こうに見える白狼と同じくらいかと思える大きさにまでなっていった。

「なんか大きくなってるけど」

「そうだよ。これからあそこを抜けるから」

「抜けるって・・・」

走って行く道の正面には、上に有刺鉄線が張られた高い塀が見えている。

扉も何もないけれど、あれをどうやって抜けるのかと和人が思っているうちに、塀がどんどん迫ってきた。

白狼が向こうを走っている。

リキと白狼の間に、高度を下げた黒い怪鳥が入ってきた。

怪鳥の背中には、三人とシロが乗っている。

逃げている人々の中で、一番先に塀に到達した数人が、塀の前で何やら操作していた。

一見出入り口は無いように見えるけれど、暗証番号を打ち込めば一部開く仕組みになっているのかもしれないと、和人は思った。

「なんか開けようとしてるのかな」

「どうせすぐ開くけどね。違う意味で」

三体は、まるで障害物など何も無いかのようにそのまま突進していった。

鉄製の丈夫な塀は、まるでオモチャのように簡単に破られた。

三体が通り過ぎた後、派手な音を立てて塀が倒れた。

彼らの居住区を隠し、隔てていた壁は一瞬で無くなった。

開けようとしていた数人は、目の前で向こう側に倒れた塀の前で呆然と立ちすくんだ。

それでもすぐに気を取り直して、また逃げ始める。

向かう先は、市街地の方しか無かった。

自分達の居住区の方には巨大魚が居るのを思うと恐ろしくて、そっちに戻るわけにもいかない。

三体は、もう一度Uターンして更に広範囲に塀を壊していった。

必死に逃げる人々は、塀がどんなに壊されても、そこを通って市街地を目指すしかなかった。

早く逃げなければ、恐ろしい存在達が後ろから追って来るから。

山の主達は、彼らが逃げるのを分かっていて適当に追いかけていた。

本当に殺そうと思うなら一瞬で終わる。

確実に市街地と方へと追い立てていった。

市街地まで来ると、カメラやタブレット、スマホを持った村人達数人が待ち構えている。

和人達も知り合いになった、百人ほどの人数の村の人達だった。

数日前、開発地を管理する連中に村まで入ってこられて、人の集まっている場所を包囲された。

結局は相手側が撤退して行ったけれど、二度と来て欲しくないと皆んなが思った出来事だった。

開発地に住まない者が居る事に対して、村に来て圧力をかけたり、山に入って住んでいる者を襲撃したりするのは、命令通り動いているだけの立場の者達。

その上に、もっと権力のある存在達が居るらしい事は、皆んな何となく気がついていた。

実際にその存在を突き止めて、そこを襲撃するから面白いものが観れるはずと、村に連絡が入ったのは昨日の事だった。

山の主達からリキへ、和人達へ、そこから知り合いの大家族や村人達へ。

情報が伝達されて行った。

ネット環境も捨てて山で暮らす和人達と違って、ここの村の人達は普通にパソコンもスマホも使っている。

今日はこの情報を拡散するために、連絡を受けてここに来ていた。

なりふり構わず逃げてくる人々の姿を、写真や動画に収める。

スマホにマイクを接続していて、ライブ配信でこの様子を流している者も居た。

村の人からスマホを借りた和人はリキと共に引き返していって、破られた壁とその向こうに広がる彼らの居住区の様子を撮った。

さらに中に入っていき、逃げようとして転んで怪我したり力尽きて倒れている人々の間を歩いて行った。

屋根の吹っ飛んだ公会堂の写真も撮った。

公会堂に入って行き、中からも撮る。

ここだけでも相当に広い敷地だった。

床にも柱にもテーブルにも、大理石がふんだんに使われている。

高い天井からはシャンデリアがいくつも下がっていたらしい。

今はそれが落ちて砕け散っている。

中央の会議室だけでなく、レストランやバー、レジャー施設、宿泊出来る部屋も、厚い絨毯を敷き詰めた広い廊下の両側にズラリと並んでいる。

どの部屋もホテルのスイートルーム並に広々としていて、高級な家具や調度品が揃えられ、絢爛豪華な造りだった。

ヒノキの風呂、大理石を使った浴槽、サウナ、露天風呂など、贅沢な温泉もあり、巨大なプールもあった。

和人は、これら全てを写真に撮りながら歩いた。

極め付けは、地下室に金塊や宝石が積み上げられた部屋が見つかった。

更に奥には巨大な金庫があり、開ける事は出来なかったけれど一体どれほどの金が入っているのかと思われる。

この地下室の様子も、和人は写真に収めた。

中央の会議室に近い場所のトイレは、屋根が吹っ飛んだ時に天井に穴が空いたらしい。

衝撃でドアも開いていたので見ると、中で用を足していた男が恐怖のあまりそのまま気絶していた。

「撮るのだけは止めといてやるか」

「撮っても見苦しいし」

静かにドアを閉めて通り過ぎた。

川の方から「これくらいでいいだろう。そろそろ戻る」というメッセージが、テレパシーで飛んできた。

巨大魚からのメッセージで、和人とリキは同時にそれを受け取った。

「ありがとう」とメッセージを返す。

巨大魚の気配が、フッと消えた。

「山に戻ったのかな。一瞬だね」

「妖怪だからね。そうしようと思えばいつでも一瞬で移動できる。来た時はゆっくりだったけど、どうにでも好きなように出来るし」

リキが答えている間に、白狼と怪鳥からも同じメッセージが来た。

お礼のメッセージを返すと、一瞬で気配が消えた。

「皆んな帰ったみたいだね」

「そうだな。これくらいやっとけばもう十分だから」

リキは普通の猫の大きさになり、和人と並んで歩いた。

支配層の人々の居住区を、ゆっくり眺めながら歩いて市街地に向かった。

そこに点在する個人宅も、城かと思うような大邸宅ばかりだった。

立派な門構え、広大な庭、いったいどこまで外壁が続いているのかという広さがあった。

和人は、そういう家のいくつかを写真に収めた。

家が並んでいる場所の後ろには、彼ら専用と思われる広大な畑、果樹園、水田が広がっていた。

「きっとここだけで、無農薬栽培とかやってるんじゃないかな」

「多分そんなとこだろうな」

今日だけであまりに多くのものを見過ぎて、和人もリキも今さら驚かなかった。

これも写真に撮っておいた。

市街地に戻ると、大変な騒ぎになっていた。

一般庶民が今まで、危険区域で入れないと信じていた場所が、実は全く違うものだったという事が、あっという間に知れ渡っていった。

茜は村人達に混ざって、崩れた壁の向こうの風景を、借りたスマホで撮影していた。

良太と琴音、犬のシロは、庶民の中では経済的に豊かな人達の居住区へ行った。

呼び鈴を押し「大切なお知らせがあります。出てきてください」と呼びかける。

犬のシロは、玄関で吠えて知らせる。

外で騒ぎが起きている事にはほとんどの人が気が付いていて、何事かと思っていた。

今まさにライブ配信を見ていて、何が起きているか知っている人も居た。

なので、呼びかけると皆んな簡単に出てきてくれた。

「行ってみる」という人が多かったので、二人と一匹はそれぞれ車に便乗させてもらった。

市街地を走り、崩れた塀のある境界線を目指す。

ここに住む人達は「危険区域から最も遠い安全な場所」という宣伝文句を信じて、おそろしく高い土地代を払ってここに住んでいた。

稼いでも稼いでも税金の項目は増え金額は上がるばかりで、比較的豊かな方とは言っても、今の社会システムに苦しめられている事に変わりは無かった。

それでも、全体として大変な状況なら仕方ないだろうと今までずっと我慢してきていた。

財政は苦しく、配給の食糧も十分確保しにくく、近年重なった自然災害で住環境に適した場所は減っている中、上の立場の人達も懸命な努力を続けてくれている。今は耐える時。痛みを分け合わなければ。

そう言われ続けてきて、今までずっとそれが真実だと思っていた。

車は市街地を抜け、崩れた塀を越えて「危険区域」と言われていた場所に

入って行った。

そこは「危険区域で住環境に不適切」どころか、市街地の中のどこよりも自然豊かで広々として、住環境に適していそうな場所だった。

これを初めて見た人々は、あまりの事に怒りを通り越して思考がついていかなかった。

はっきりしている事はただ一つ。

自分達はずっと、彼らに騙されていたという事だった。

今も、塀の向こうに何があるのかという情報は拡散し続けていた。

「見てください!これが、立ち入り禁止の危険区域の正体です!」

そんなタイトルで、映像や写真入りの情報が伝わっていった。

リキと山の主達に追われて逃げていた人々は市街地まで逃げ込んで、途中でやっと、もうすでに追いかけて来る恐ろしいものが居ない事に気がついた。

「戻ったらまだ居るんじゃないのか」

「あの魚の化け物もいるかもしれない」

「危険だから我々はしばらく避難して、警察に見に行かせよう」

そんな事を話しながら歩いていた彼らは、自分達の周りを取り囲む人々の存在に気がついた。

普段は離れた場所に居て接点さえなく、番号としてしか認識していなかった人間達。

その人間達の中に、自分達は入ってしまっている。

その事に気がついた後、彼らは自分達にとってもっと恐ろしい事に気がついた。

自分達数十人を取り囲んで見ている人間達。

そこから伝わってくる感情。

それは、自分達が望んでいる畏怖と尊敬からはほど遠かった。

庶民は絶対に会う事も叶わない、手の届かない場所に居る、神のような存在。庶民からそういう風に思われる事を彼らは望んでいた。

そして、そうでなければ今の社会システムは成り立たなかった。

多くの庶民達が冷めた目で見つめる中、彼らはトボトボと歩いて居住区へ帰って行った。

11月15日

あの日を境に、全てが大きく変わり始めた。

壊した塀は、置いておくと邪魔だから皆んなで片付けた。

土地はたくさん空いているので、皆んな好きなように住み始めた。

俺達もそこへ行っても良かったけど、今住んでいる場所に愛着が湧いてきたし、そのまま住み続ける事にした。

皆んな気持ちは同じだったみたいで、俺達18人と36匹は、結局今までと大して変わらない生活をしている。

ただこれからは、見つかるのを恐れて隠れる事もないし、行きたい所へいつでも自由に行く事が出来る。

メールや電話を通じて直接命令を受けていた人達でさえ、特権階級の奴らの生活は知らなかった。

それを知ってしまって以降、奴らに従おうという人はいなくなった。

市街地まで逃げて来た奴らの他に、逃げ遅れて倒れている奴とか全員数えたら30人だった。

たったこれだけの人数で、人口数百万の地域全体を支配していたというわけだ。

真実がバレたのを知ると、奴らはコソコソと家の中に逃げて行き、出てこなくなった。

いつ引きずり出されて殺されるかと思い、きっと怯えながら暮らしていると思う。

庶民の側は別にそんなことをするつもりはないし、コソコソ隠れて暮らしている彼らの存在は、いずれ皆んなに忘れられる。

そんな奴ら居たっけ?ってなるのも、遠い未来の事ではないと思う。

今、情報が拡散されて他の地域でも同じことが起きている。

特権階級の奴らの人数を全て足してもおそらく500人も居ないのではないかと思う。

俺達庶民の側からすると恐れるようなものでは全く無いし、彼らが隠れてしまってはっきり分かったことは、彼らが居なくても俺達は何も困らないという事だ。

今までは多くの人が、彼らが居るから自分達が生きていけると思っていたけれど逆だった。

真実は、庶民が皆んな従っているから、彼らの権力が維持されていたということ。

果樹園や畑、水田を管理していたのはAIを搭載されたロボットだった。

奴らの家の外の倉庫らしき場所に、それがたくさん入っていた。

庶民側は人数が沢山居るので、ここを人の手で管理出来る。

彼らの土地や畑を勝手に使っている事に対して、俺は悪いとは思わない。

元はと言えば庶民から集めた金なんだから。

奴らは、危険地域だと偽って一番いい場所を独占し、贅の限りを尽くした生活をしていたわけだし。

あの場所は元々「彼らの土地」というわけでもない。

住む場所はここしかないと信じて狭い場所に押し込められていた人達は、自由に好きな所に住み始めた。

広大な水田、畑、果樹園があり、食物は十分に採れるらしい。

これから更に、あの場所がどんな風に変わっていくのか、俺もすごく楽しみだから時々見に行きたいと思う。

和人がペンを置くと、リキが机の上にポンと飛び乗った。

「外で焼き芋焼いてるみたいだぜ」

外に視線を向けて伝えてくる。

そういえばさっきからいい香りがしていたような・・・

和人はすぐに立ってリキについて行った。

普通サイズの猫の姿のリキが、二股に分かれた尻尾をピンと上げて歩いていく。

和人は静かな気持ちで、リキの歩く姿を眺めた。

これからは逃げる必要も戦う必要も無い。

という事は、リキはずっとこのサイズでいられるのかなと思うと、それが何か平和の象徴のような気がした。

自分達人間には寿命があるけれど、ここではリキと山の主達が、きっと次の世代へ、その先にも、この物語を語り継いでくれると思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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