長年の刷り込みから生まれる従う発想 誰かに期待してついていく発想

世の中の仕組みについて

学校教育で教えられることは・・・

「皆で頑張りましょう」
「皆で一緒にやりましょう」

「クラスのリーダーを決めましょう」

その他何か行事などに関しても
「リーダーを決めましょう」
「リーダーの指示に従いましょう」


そのリーダーは先生の指示に従い
先生は学校の方針に従い
学校は政府の決めた事と世間の流れに従う。


こうやって育っていった子供が大人になり
会社に入る。
会社でもまた同じ流れ、同じ仕組み

誰もが「自分より上の存在」に従っている。
その存在もまたさらに上の・・・・
これがずっと続いている。


この形があるから、ピラミッドの頂点にいる
ごく少数の人達によって支配される世の中

完成している。

頂点にいる人達からすれば、一般庶民には
自分で考えてほしくないわけで・・・
言われたら何も疑わず信じて、
指示された事にただ従う
そういう人ばかりの世の中を目指している。

奴隷量産システム
これが子供の頃から始まり、
社会人になってもずっと続いていく。
あまりのもそれが当たり前になりすぎて
誰も疑問を持たない。
土台がこれだから、今回のコロナ騒動の事でも
世の中がああいう状況になったのかと思う。
支配層からすると
「本当に思い通りにとてもうまくいった」
というところ。

これでうまくいったから次は何を持ってくるか
もう考えていると思う。
テレビのニュースでは、新たな感染症の危機、
他国からの侵略の危機、食糧危機、自然災害など
次々と煽ってくる。

コロナ騒動の時と同じく
不安恐怖に支配された人達が
強いリーダーを待ち望み
「私達はどうしたらいいんでしょうか?
助けてください。指示してください。
命令してください」
という気持ちになるのを待っている。

自分で考えて動いている人が多ければ、
テレビで言われている事をそのまま信じて皆が一斉に
同じ行動をするような状況になるわけがない。



疑問に思って公的機関に質問するという
方向で行動しても、
まともな答えが返ってくる事はほとんどない。
質問に答える側も自分で考えてなどいないから。
聞くだけ無駄かと思う。

仕事の中で自分のやっている事、言った事に対して
質問されても
指示に従ってやっているだけなので
ガイドラインに従ってやっているだけなので
「現在のところそれに関しては、問題ないと
言われていますので」

という答えしか返ってこない。
誰の指示で、どんなガイドラインで、
いつどこで誰が「問題ない」と言ったのかは不明。
挙句の果てに
「その件に関しては何処どこに聞いてください」と
質問をたらい回し。
言われたところに聞いたらまた違う所に回され、
数件たらい回しの後伝えられるのが
また最初のところだったりする。

聞かれる方も、
自分のやっていること、自分の言っている事に
自分の心が納得しているかはどうでもよくなっている。
従う習慣しかなく考える習慣がないのか。
面倒だから考えることを止めているのか。
考えるべきでないと思っているのか。


たまにここから抜け出そうという人が
大人でも子供でも現れるけど大抵は「変な人」で
かたづけられる。
大多数の人と同じように動かないと変人扱い。

それが嫌だから周りの人の顔色を常にうかがう。
「みんなそうしてるから」
「みんな言ってるから」が口癖になる。

コロナ騒動の時も皆で一生懸命、
言われた通り感染対策を頑張っていた。
本当にそれが大事なのか?
必要なのか?
自分はそれに対してどう感じているのか?
これを考える人が少なすぎる。

それともう一つのパターンは、
今の状況がおかしいとは思っていても
「自分ではどうしようもない」と最初から諦めていて
誰か力のある人が出てきて何とかしてくれないか」
と人に期待する発想
導いてくれる人がいたらついていくという考え。

これも子供の頃からの刷り込みで、
人間は生まれ持った適性から
リーダーになれるタイプの人
その他大勢ついていく人
というのに分かれていて集団行動こそが正義である
という刷り込みからきているのかと思う。
リーダーとなる人以外は考える必要がなく
ついていくだけでいい。
その方が組織としてまとまりが出来る


これでは結局、今の世の中に存在する
ピラミッド型システムから抜け出す事が出来ない。
誰かの指示がないと安心できない。
一定人数以上の組織の中に居ないと不安。

同じ考えの集まりの中では安心感で強気になれるけど、
一人になると人の目が怖くて
周りに合わせるふりをしてしまうという人も多い。

頼れるリーダー的な人がいるとすぐに
誰々さんについていきます!!という発想になる人も多い。
「この人についていけば安心」
「この人に従ってさえいれば自分はきっと大丈夫」
その発想は結局、子供の頃から刷り込まれた習慣からきている。

これではなくて、
自分一人の単位でどう考えどう生きるのか

その感覚で生きていく中で、
たまたま考えの近い人がいればそこで交流も生まれる。
でもそれはどちらかがどちらかに従うとか、
ついていく関係性でなくあくまでも対等な個人対個人。
人と一緒にいる時間も大事、一人の時間も大事、
大勢でいようが誰かと一緒に居ようが自分一人であろうが
何も変わらない。ブレない軸がある。

そういう人が増えていく事で、世の中の流れは変わると思う。




タイトルとURLをコピーしました